1:名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 10:15:51.41 ID:0
ただの裏切り者とかじゃねえよな絶対
関が原


2: 名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 10:18:32.26 ID:P
最高のタイミングで裏切ったよな
あれより早いと豊臣方も態勢を立て直す余力あっただろうし
あれより遅いと豊臣方に勢いが行き過ぎて巻き返せなかったかもしれん



3:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 10:20:17.73 ID:0
内部で割れてはいたがどう考えても豊臣が負けるわけがない戦だったはず
徳川は一世一代の大勝負に出たわけで
関東の大領地を捨ててまで
その大勝負を勝たせたのが他でもない小早川秀秋



5:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 10:22:40.49 ID:P
小早川は功績から言えば毛利の領地をそっくり頂いてもおかしくないくらいなのに
冷遇されたあげく数年で死んだのワロス



6:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 10:22:45.67 ID:0
後に豊臣家が完全に滅ぼされて徳川幕府が260年も続いたから
まるで徳川が勝つのが当たり前のようにされてるけど
よく考えたら徳川みたいな地方の一大名が官軍相手に戦仕掛けて勝てる見込みなんて
ほんの僅かだったはずなんだよな



320:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 13:09:58.36 ID:0
>>6
家康はほぼ勝つ見通しがあった

息子の秀忠が徳川主力を率いて
関ヶ原に来ていれば
あんな薄氷な戦になってない

秀忠が遅参したからおかしなことになった



341:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 13:36:17.49 ID:0
>>320
もともと関ケ原であんなに早く短期決戦になるとは誰も思ってなかった

西軍だって田辺城と大津城に3万程度の軍を割いていたよ


秀忠軍の本来の目的は中山道沿いをゆっくり平定して背後を固めることだから



10:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 10:26:54.60 ID:P
黒田官兵衛とかも東軍西軍の戦は数ヶ月続くと思ってたのに
1日で決着ついたと聞いて「えっ、ウソやん!」と驚いたとか



13:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 10:27:50.38 ID:0
豊臣は後継ぎが若年の秀頼しかいないのに徳川家康は息子は何人もいた
日本を安定させるために徳川方を勝たせた小早川こそ平和希求者



19:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 10:32:40.66 ID:0
絶大なる人気の豊臣家を滅ぼした大元みたいに思われて
西軍の連中から忌み嫌われすぎて日本史上に残る大悪党にされてるけど
普通に考えてこいつの決断は日本という国の運命を変えたとも言える
とんでもない大物だよ



22:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 10:35:17.64 ID:0
なのに大河とかだと必ず一段格の落ちる役者が選ばれて
優柔不断なヘタレみたいな描かれ方してるのが腑に落ちない
こいつ以外の誰があんな決断できたかっつの



34:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 10:43:28.44 ID:0
>>22
若造なんだから仕方が無い



24:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 10:36:56.09 ID:0
小早川だけじゃなく家康は西軍方の他の大名にも
内通して寝返ること(もしくは動かないこと)を頼んでたからな
三成は家康を上杉と挟み撃ちにするつもりだったが
伊達が睨みを効かせていたから上杉は動けなかった



26:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 10:38:11.87 ID:0
>>24
どんなに寝返り工作したっていざ戦場で官軍である豊臣家に弓引く大それたこと
できる武将はそうそういるわけがない
事実寝返り工作したって吉川とかは毛利を動かせないようにしてただけで
実際に兵は動かしてないわけだから



36:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 10:44:06.62 ID:0
秀秋って秀吉の養子か何かになってたんだろ?
それが小早川の養子にされて秀吉や豊臣家をよく思っていなかったんじゃないっけ



38:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 10:45:29.50 ID:0
《 関ヶ原の戦い, Sekigahara 1600, 小早川秀秋の裏切り 》




40:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 10:46:46.34 ID:0
官軍賊軍とかいう話じゃなくて
豊臣家臣の間での私戦でしかない



44:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 10:48:25.90 ID:0
動きを見せない小早川に家康がしびれをきらして
銃弾撃ち込んで急き立てたって聞くけど史実なのかね



45:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 10:48:49.10 ID:0
「優柔不断に悩んだあげく大砲を撃ち込まれて慌てて裏切った」なんて
後世の徳川家の捏造としか思えない



55:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 10:52:24.67 ID:0
実質小早川家を取り仕切っていたのは稲葉正成と平岡頼勝
難しい交渉をして難局を乗り切ろうとした奴らの力量こそ評価されるべきだろう



56:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 10:53:57.32 ID:0
周り敵に囲まれまくってるのに石田の本陣に突進していく徳川家康も相当のキチガイ
そのキチガイぶりに共感して兵を動かした厨房が小早川
まぁ小早川が動いてなければ家康オワタだったろうな



59:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 10:55:03.09 ID:0
関ヶ原に出た時点でドツボにハマった三成の負け
宇喜多と島津が夜襲やる気だしてたのに退けた



66:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:00:24.57 ID:0
小早川が裏切らなければ関ヶ原は
ただ単に徳川の乱みたいな位置づけにしかなってなかったと思う
実際そうなる可能性の方がはるかに高かった



67:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:01:29.55 ID:0
徳川は戦国最強の野戦軍団だったからな
戦場に引っ張り出せば何とかなると思っていたんだろう



69:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:02:00.94 ID:0
福島池田細川黒田等の諸将の結束力が半端でなかった
西軍はそうではなかった
これが大きいだろ



80:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:06:10.34 ID:0
>>69
関ヶ原の前に石田光成暗殺事件を起こした連中だしな



70:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:02:20.91 ID:0
状況や兵力考えてもあれはどう見ても徳川が勝てる戦じゃねえぜ



76:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:04:38.13 ID:0
>>70
西軍の大半が傍観者になると読んでたんだろ



81:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:06:10.84 ID:0
>>76
それはただ単に希望的観測であって
本当にずっと傍観者でいて尚且つ大軍率いた大将がこっち側に寝返ってくれるなんて
普通はありえないんだけどな



71:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:02:26.12 ID:P
小牧長久手でも事実上勝ってるしな
小牧・長久手の戦い
この戦いで家康は、中央の覇者である羽柴秀吉の三河先遣隊2万に圧勝したことにより、野戦の達人と評価され恐れられるようになる。新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取。成島司直の改正三河後風土記に、海道一の徳川殿。東照宮御実紀(『徳川実紀』)に、徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」など、この時の様子が記述されている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/小牧・長久手の戦い



336:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 13:27:45.87 ID:0
>>71
小牧長久手は家康の負けだよ
あっさり美濃はとられるは大軍を小牧にくぎ付けにされて
北条に背後から攻められるわと散々

その北条と和解するために真田を無視したおかげで
第一次上田合戦を起こして大敗

その敗戦のために佐々成政や根来寺や長宗我部を見殺しにせざるを得なかった


全ては小牧でのほほんと過ごしていた家康のミスが原因



83:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:07:00.96 ID:O
小早川裏切るの前提で家康が来たんだろ
小早川は最重要拠点を押さえてどっちに付くか考えてた



84:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:07:13.01 ID:0
俺の地元の宇喜多秀家は西軍でもかなり頑張ったんだけどね



88:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:08:13.01 ID:0
>>84
八丈島から乙



87:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:08:03.24 ID:0
小早川秀秋の一存で日本の運命が変わったといえるわけで
そういう意味では物凄い役割を果たしてるわけよ小早川って
なのに大河でのあの扱いはないわ



91:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:09:32.18 ID:0
アメリカの士官学校で世界の軍事史の授業があって
関ヶ原の合戦の陣形モデルを見せて「どっちが勝ったと思うか」と聞くと全員西軍に手を挙げる
そのあと「1日で東軍が勝った」と教えると全員「嘘だろ」と絶句するらしい
175_1



93:
名無し募集中。。:2012/06/28(木) 11:10:11.13 ID:0
>>91
背景知らなきゃしかたない



97:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:11:36.05 ID:0
>>91
明治政府にお抱え軍人として雇われたドイツのメッケル少佐も同じ事言ってるな



92:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:10:09.20 ID:0
いくら石田が憎くても石田軍に歯向かうことは淀殿秀頼に刃を向けることに他ならないわけで
まともな考えができる人間ならできんね



108:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:18:07.01 ID:0
>>92
秀頼を引っ張り出せなかった段階でそれは成り立たない



111:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:19:33.62 ID:0
>>108
だからまともな思考能力のある人間なら三成に歯向かう事は秀頼を死に至らしめると
同じになるってことぐらい分かるだろ
たとえ戦場に駆りだしてこなくても



117:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:24:04.58 ID:0
>>111
それは後世の判断だろ
当時の感覚では豊臣家臣団内部の権力闘争でしかないわけだし
家康には北政所もついてる

家康の危険性を感じてた奴らは三成と共闘してるわけだし



104:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:15:34.85 ID:0
家康は慎重派と言われるけどやる時は結構大胆なことをやる
やっぱ天下とる力量ある奴は違う



105:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:15:58.59 ID:0
吉川も毛利本家の軍隊の前に立ちふさがったわけで
西軍本体の毛利が分裂したのが敗因



106:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:16:00.31 ID:0
毛利と長曾我部は動いてないわけだし
囲まれてるのはむしろ西軍だもん



113:
名無し募集中。。:2012/06/28(木) 11:21:13.41 ID:0
真田がんばった
後先考えずに



116:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:23:51.55 ID:0
徳川秀忠軍がいれば普通に戦って家康勝利
最初から戦力が違いすぎる



118:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:24:10.28 ID:0
でも遅刻したじゃんアイツ



119:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:25:45.58 ID:0
だから秀忠到着前に関が原に引っ張りだされたのは
家康にとってはやはり誤算だったのでは?



122:
名無し募集中。。:2012/06/28(木) 11:28:39.32 ID:0
まあ何が決定的要因とかはわからんが
家康も何度も死にかけてるのは確かみたいね



125:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:32:59.99 ID:0
本能寺の変でも信長が嫡男の信忠と行動共にしてなければ織田家は滅んでなかった
嫡男と行動共にすることって同時に潰れる可能性あるから避けるべきだと家康は思ってたんじゃね



129:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:36:32.52 ID:0
>>125
思ってたらあとで遅参したこと怒らないだろw



130:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:37:55.79 ID:0
>>129
勝ったから豊臣恩顧の大名に借りを作ってしまったこと後悔してああだこうだ言ってるけど
負けて一緒に死んでたらそんなこと言ってらんないぜ



126:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:33:24.55 ID:0
捏造された肖像画のイメージで軟弱なもやしっ子だと思い込まれてるけど
秀秋て結構勇猛果敢な性格なんだよな
330px-Kobayakawa_Hideaki



128:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:36:02.66 ID:0
俺は秀秋って意気に感じるタイプの親分的性格してると思うよ
でないとあんな決断できないし家臣もそんな無茶な決断についていかないだろ



138:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:49:09.79 ID:O
小早川そのものより
吉川長曽我部が動かなかった時点で勝負あったんじゃないの



141:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:51:02.78 ID:0
動かないだけなら誰でも出来るさ
そのまま動かなければ何だかんだで西軍勝ってたわけだし
大軍率いた大将が寝返って実際に西軍を攻撃するって事態がありえない出来事であり
だからこそ徳川は勝てた



148:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:55:00.36 ID:0
てかお前らが末端の兵隊だとして
上から裏切るぞーって言われて
はいはい裏切りですねってなる?



151:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:57:02.99 ID:0
末端の兵隊は何の目的で戦ってるかなんて知らないだろうし
ひょっとしたら誰が敵なのかもハッキリ分からない可能性もあっただろう



152:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:57:12.76 ID:0
家臣が「殿それは辞めましょう」って箴言して反対しなかったところがポイント
つまり秀秋は家臣からかなり信頼されてた武将だったわけだ



154:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:58:20.51 ID:0
前田利家が家康より先に死んだ段階で結果は見えていたんだろうな



155:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 11:58:49.23 ID:0
戦が終れば故郷に帰っての日常があるわけだから領主である連中に逆らうことはせんなあ
命の危険があった時はさすがに逃げ出すけどw



157:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 12:00:30.65 ID:P
光秀の家来とか本能寺の手前までわけもわからず連れて来られて
「敵は本能寺にあり!」とか言われたわけだからな



169:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 12:09:47.05 ID:O
吉川は動かなかった上におとりつぶしで何がしたかったの



174:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 12:11:03.38 ID:0
>>169
吉川の方が小早川捏造肖像画みたいな人物に描かれないといけないよな本当は



193:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 12:20:23.20 ID:O
内応してた毛利と
弓を引いた上杉と
扱いが変わらないのはよく分からんね
九州の島津はほっといてもいいと思うが



195:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 12:21:18.89 ID:0
毛利を残したのと島津をほっといたことが250年後に



197:
名無し募集中。。:2012/06/28(木) 12:22:32.92 ID:0
>>195
そこがまさに大河ドラマ



196:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 12:21:24.74 ID:0
島津は徳川でも潰しに行けなかったとみるのが正解かな



199:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 12:24:17.86 ID:0
島津は領地が薩摩なんて日本の端っこだったからな
江戸や上方に近かったら転封されてただろ



200:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 12:24:26.01 ID:0
毛利も上杉も島津も余力はたっぷり残ってたから
潰そうとすれば死兵になって厄介だったのだろう
宇喜多みたいに大将が蓄電してれば易々と領地没収できるわけで



257:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 12:49:53.51 ID:0
小早川のこと悪者みたいに扱うのは完全にお上の情報操作でしょ
徳川にとってはこれ以上の恩人はいないのに



259:
名無し募集中。。:2012/06/28(木) 12:51:03.28 ID:0
>>257
封建社会では裏切り者はよほどじゃないと悪役に回される



262:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 12:51:48.74 ID:0
江戸になって朱子学をベースにした武士道という思想ができていく過程で
小早川は秀秋は裏切り者になっていったんだろうね



265:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 12:52:20.47 ID:0
若かったからかもしれんが朝鮮では結構勇猛果敢に戦ってたみたいだし
農民に対しては優しい領主だったみたいだが



270:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 12:53:52.76 ID:0
いつまでも下克上だと世の中が収まらないからな



290:
名無し募集中。。。:2012/06/28(木) 12:58:19.89 ID:0
関が原一番名声を得たのは島左近って黒鉄ヒロシが書いてたな
実際何をしたかよく分かってないひとなのに
左近
左近
9歳の頃、戦で重傷を負い動けなくなったため死を願う父とその心を理解し自害に連れ添う母と死別。その際、母から庭に咲く桜の巨木のような強い男になれ、と諭され強き男になること、
死に場所を見つけることを決意する。左近のその想いの形として桜の巨木の一枝を肌身離さぬようになる。


筒井氏家臣であったが出奔、一刻も早く乱世を終わらせたいと語る石田三成の義に惚れ込み、同志となる。
墨炎(すみほむら)と呼ばれる戦場刀を持ち鉄砲玉を弾き返す、一振りで10人以上蹴散らす、
瀕死でも幻霧斎の「羅刹・円月斬」を見切り防ぐなど比類なき戦闘力、怪力を誇り、
鬼左近の異名を持つ(羅刹の一人である天鬼坊もそのタフさに「このバケモノめ」と驚愕している)。
墨炎が折れた後は風魔に伝わる名刀・白雷(はくらい)を譲り受ける。

http://ja.wikipedia.org/wiki/SAKON(左近) -戦国風雲録-



127: 名無し募集中。。:2012/06/28(木) 11:33:31.12 ID:0
やはり戦国時代の話はおもしろい



転載元:http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1340846151/
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【閲覧注意】誰かアニメの都市伝説を教えてくれ

古写真見ると江戸時代の島津家の姫様が可愛かった

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