215:海の子:2007/08/02(木) 21:57:04 ID:Qfp4x3iY0
少し前、知り合いのおじさんから聞いた話です。
――今から20年ほど前、昭和の終わり頃のこと。
ある若い夫婦が、国内の海へスキューバダイビングに出かけました。
その日は、奥さんの体調があまり良くなかったため、海には潜らず、ボートの上で待っていました。一方、ご主人は予定通り、海に潜っていきました。
潜る直前、奥さんは記念に数枚、写真を撮りました。
1枚目――船の縁に後ろ向きに腰掛けるご主人。
2枚目――鼻と口を手で押さえ、後ろ向きに背中から海へ落ちる寸前。
3枚目――海面にドボンと飛び込んだ瞬間。
その後、15分、30分、45分……時間だけが過ぎていきます。
――しかし、ご主人は一向に浮上してきませんでした。
さすがにおかしいと思った奥さんは、不安になって名前を呼び始めました。
「あなた!ねぇ、返事してよ……!」
けれど、返事はありません。
慌てて船の無線で連絡を取り、捜索が始まりました。
そして、約10メートルほどの海底で、ご主人は沈んでいるのが発見されました。
すぐに病院に運ばれましたが――帰らぬ人となってしまいました。
葬儀が終わり、四十九日も過ぎ、少し気持ちが落ち着いた頃。
奥さんは、ふと思い出しました。
「そういえば……最後に撮った写真、現像してなかったわ」
慌ただしい日々に紛れて忘れていたそのフィルムを、ようやく写真屋に出しました。
翌日、写真が仕上がり、奥さんはそれを受け取って家に帰りました。亡き夫との思い出の写真を一枚一枚、噛みしめるように見ていきます。
しかし――
「あれ?最後の3枚が入ってない……」
ダイビング直前に撮ったはずの、あの3枚が抜けていたのです。
不審に思った奥さんは、すぐに写真屋へ向かい、店主に問いただしました。
「すみません、ダイビングの写真が入ってないんですけど……」
すると、店主は顔を曇らせ、こう言いました。
「……あの3枚は、ピンボケしてましたので、お渡ししませんでした」
「ピンボケでも構いません。あれは主人との、最後の写真なんです」
「奥さん……やめた方がいい。あの写真は……見ない方がいいと思います」
「見るかどうかは、私が決めます。返してください。返してくださらないなら、警察に届けます」
沈黙のあと、店主は諦めたように封筒を差し出しました。
「……そこまでおっしゃるなら。代金は結構です。どうかお持ち帰りください。ただ――見るなら覚悟してください。後悔しますよ」
「変なこと言わないでください。払います」
そう言って、奥さんは代金をカウンターに置き、写真を持ち帰りました。
そして――
家に戻ってから、例の3枚を取り出して見たのです。
1枚目。
船の縁に座る、ご主人の背後の海面――そこに、見知らぬ“手”が写っていた。
明らかに、人の手。だが、周囲に他のダイバーなどいなかったはず。
2枚目。
背中から海へ飛び込む直前、ご主人の肩を、海中から伸びた2本の腕ががっちりと掴んでいた。
まるで、海に引きずり込もうとしているかのように。
3枚目。
海面に落ちた瞬間――そこには、防空頭巾をかぶった老婆の顔が浮かび上がり、濡れた白い歯を見せながら、ご主人を引きずり込むように“笑って”いた。
奥さんは震えが止まらず、その場にへたり込んでしまったそうです。
……後日、地元の古老から、こんな話を聞きました。
その海域は、かつて戦時中の空襲で多くの女性や子供たちが命を落とし――遺体の処理に困った村人たちが、やむなく、供養もされぬまま“海へ流した”場所だったのだと。
いまでも、時折その海では、理由の分からない“水死”が起きるという――。
