小学校の集合写真は、毎年、体育館の壇上で撮られた。
学年ごとに雛壇に並んで、カメラマンが「はい、動かないでくださーい」と言う。シャッターが切れるまでの数秒間、みんな笑顔を固定したまま、じっとしている。
うちの学校には、古い用務員のおじさんがいた。名前は知らない。みんな「おじさん」としか呼んでいなかった。
一年生の頃、廊下に飾られた集合写真の前を通りかかったとき、そのおじさんに声をかけられたことがある。
「写真、じっと見るもんじゃないよ」
なんで、と聞くと、おじさんは箒を動かしながら言った。
「数が合わないことに、気づいちまうから」
学年ごとに雛壇に並んで、カメラマンが「はい、動かないでくださーい」と言う。シャッターが切れるまでの数秒間、みんな笑顔を固定したまま、じっとしている。
うちの学校には、古い用務員のおじさんがいた。名前は知らない。みんな「おじさん」としか呼んでいなかった。
一年生の頃、廊下に飾られた集合写真の前を通りかかったとき、そのおじさんに声をかけられたことがある。
「写真、じっと見るもんじゃないよ」
なんで、と聞くと、おじさんは箒を動かしながら言った。
「数が合わないことに、気づいちまうから」
そのときは意味が分からなかった。ただ、その日から俺は、写真の前を通るたびに、なんとなく目をそらすようになった。
三年生の秋、隣の席の丸山が、その意味を教えてくれることになる。
丸山とは一年生の頃から仲が良かった。家が近くて、休み時間も放課後も、だいたい一緒にいた。図鑑が好きで、昆虫のページを開いては、どっちが先にカブトムシを見つけるか競争していた。
ある日の放課後、丸山が教室の後ろに貼られた集合写真を指差した。
「なあ。この写真、数えると多くないか」
俺は嫌な予感がした。
「やめとけよ」
「ちょっとだけ」
丸山は写真に顔を近づけて、一人ずつ指で追っていった。
「二十九、三十、三十一」
名簿上のクラスの人数は、三十人だった。
「もう一回」
数え直しても、三十一人だった。
丸山は目を輝かせた。
「先生に聞いてみようぜ」
俺は止めたが、丸山は本当に担任のところへ行った。写真を指差して、「これ、何人写ってますか」と聞いたらしい。
先生は少し困った顔をして、こう答えたという。
「さあ……数えたことないな」
それから丸山は、集合写真に妙にこだわるようになった。
家のデジカメで写真を撮り、パソコンに取り込んで、一人ずつ丸で囲んでいると言った。
「誰が余分なのか、絶対に分かるはずなんだよ」
俺はおじさんの言葉を思い出して、もう一度止めた。
「やめとけって。数えるなって言われたろ」
「誰に」
「用務員のおじさんに」
丸山は笑った。
「あのおじさん、いつも変なこと言ってるじゃん」
一週間後、丸山は言った。
「分かったかもしれない」
放課後、丸山は俺を写真の前に連れて行った。
「三列目。右から四番目」
そこには、見覚えのない女の子が写っていた。
おかっぱ頭で、少し俯いている。他の子たちのように笑っていない。けれど、制服も並び方も自然で、最初からそこにいたみたいだった。
「こんな子、いたか?」
俺は記憶を探ったが、思い出せなかった。
「明日、事務室で名簿と照らし合わせてみる」
丸山はそう言って帰った。
そのとき、ふと思い出した。前に母親が事務室の人と話していたことがある。
「この学校、昔から人数が一人合わないことがあるんですよ」
そんな声だけ、妙にはっきり覚えていた。あのときは、ただの事務ミスだと思っていた。
次の日、丸山は学校に来なかった。
風邪だろうと、最初はみんな思っていた。けれど三日経っても、一週間経っても、丸山の席は空いたままだった。
先生に聞くと、「丸山くんはお休みです」とだけ言われた。それ以上は、何を聞いても教えてもらえなかった。
二週間目に入ったころ、俺は気づいた。
朝の出席で、先生はもう丸山の名前を呼んでいなかった。
放課後、俺は一人で教室の後ろへ行った。
三列目、右から四番目。
そこにいたのは、丸山だった。
見覚えのない女の子は、いなくなっていた。代わりに、俺の知っている丸山の顔が、俯き加減でそこにあった。
俺は数えた。
二十九、三十、三十一。
やっぱり、一人多かった。
体育館の裏で、用務員のおじさんを見つけた。脚立に登って、切れかけた電球を替えていた。
「丸山、どこ行ったんですか」
おじさんは電球から目を離さずに言った。
「聞かない方がいい」
「教えてください」
しばらくして、おじさんは脚立を降りた。道具箱を持ち上げる前に、一度だけ俺の顔を見た。
「数えたらな、向こうもこっちを数えるんだよ」
それだけ言うと、おじさんは行ってしまった。
俺はその日から、写真を見ないようにした。教室の後ろを通るときは、必ず反対側の壁を見るようにした。
六年生になって、俺は卒業アルバムの制作を手伝うことになった。
写真部の顧問から、歴代の集合写真をスキャンしてデータ化する仕事を任された。委員はくじで決まっていたから、断るわけにもいかなかった。
資料室の棚から古いアルバムを出し、一枚ずつスキャナーに置いていく。
一年生。二年生。三年生。
四年生の写真を置いたとき、俺は手を止めた。
三列目、右から四番目。
そこに写っていたのは、俺だった。
四年生の写真撮影の日、俺は学校にいなかった。体育の授業で足首を骨折して、病院のベッドにいた。母親が病室で撮った写真には、ギプスをした足と点滴の管が写っている。
なのに、集合写真の中の俺は、俯き加減で立っていた。
俺は震える指で数えた。
二十九、三十、三十一。
一人多かった。
五年生の写真にも、俺がいた。
三列目、右から四番目に。
そして六年生の写真を見たとき、俺はスキャナーの蓋を開けたまま動けなくなった。
俺は、二回写っていた。
一度は、名簿順に並んだ本来の場所に。
もう一度は、三列目、右から四番目に。
これまでは、いなくなった誰かがその場所に現れるだけだった。俺はまだ消えていない。毎日学校に来ている。授業も受けている。
それなのに、もうそこにいる。
俺は写真部の先生のところへ行った。
「これ、何人写ってますか」
先生は写真を覗き込んだ。少しだけ間があった。
「数えない方がいい」
先生は小さな声で言った。
「私も、もう数えないことにしてるの」
卒業式の日、俺は最後にもう一度、教室の後ろの写真を見に行った。
一年生の写真から順に、目で追っていく。
三列目、右から四番目に写っている顔は、学年が上がるごとに変わっていた。
田中、鈴木、丸山、俺。
知っている顔と、知らない顔が、順番にそこへ入っていた。
最後の一枚は、卒業式の朝に撮られたばかりの写真だった。
三列目、右から四番目。
そこには、まだ誰でもないものが写っていた。
制服を着た輪郭だけがあって、顔の部分だけが、うっすらとぼやけている。
校門を出るとき、用務員のおじさんとすれ違った。
おじさんは俺の顔を見た。何かを言いかけて、やめた。
俺も何も聞かなかった。
それから何年も経った。
大人になった今でも、たまに夢を見る。
体育館の壇上に立っている夢だ。カメラマンが「動かないでください」と言う。みんなが息を止める。シャッターが切れる直前、隣に誰かが立つ気配がする。
振り向いてはいけない気がして、俺はいつも前を向いたまま目を覚ます。
先月、実家に帰ったとき、押し入れから古いアルバムを見つけた。
小学校時代の集合写真だった。
もう数えるつもりはなかった。
けれど、開いてしまった以上、確かめずにはいられなかった。
三列目、右から四番目。
そこには、誰もいなかった。
空白があるわけでも、消しゴムで消したような跡があるわけでもない。最初から誰も立っていなかったみたいに、隣の子と隣の子の間が自然に詰まっていた。
俺はアルバムを閉じて、しばらく畳の上に座っていた。
安心していいはずなのに、指先だけが冷たかった。
窓の外で、近所の子どもたちの声がしていた。笑い声が遠のいて、家の中が急に静かになったように感じたとき、俺はもう一度アルバムを開いた。
自分の並び順の場所。
もともと俺がいたはずの場所。
そこにも、俺はいなかった。
代わりに、俯き加減の、見覚えのない顔があった。
けれど名簿順で言えば、そこは確かに俺の場所だった。

丸山とは一年生の頃から仲が良かった。家が近くて、休み時間も放課後も、だいたい一緒にいた。図鑑が好きで、昆虫のページを開いては、どっちが先にカブトムシを見つけるか競争していた。
ある日の放課後、丸山が教室の後ろに貼られた集合写真を指差した。
「なあ。この写真、数えると多くないか」
俺は嫌な予感がした。
「やめとけよ」
「ちょっとだけ」
丸山は写真に顔を近づけて、一人ずつ指で追っていった。
「二十九、三十、三十一」
名簿上のクラスの人数は、三十人だった。
「もう一回」
数え直しても、三十一人だった。
丸山は目を輝かせた。
「先生に聞いてみようぜ」
俺は止めたが、丸山は本当に担任のところへ行った。写真を指差して、「これ、何人写ってますか」と聞いたらしい。
先生は少し困った顔をして、こう答えたという。
「さあ……数えたことないな」
それから丸山は、集合写真に妙にこだわるようになった。
家のデジカメで写真を撮り、パソコンに取り込んで、一人ずつ丸で囲んでいると言った。
「誰が余分なのか、絶対に分かるはずなんだよ」
俺はおじさんの言葉を思い出して、もう一度止めた。
「やめとけって。数えるなって言われたろ」
「誰に」
「用務員のおじさんに」
丸山は笑った。
「あのおじさん、いつも変なこと言ってるじゃん」
一週間後、丸山は言った。
「分かったかもしれない」
放課後、丸山は俺を写真の前に連れて行った。
「三列目。右から四番目」
そこには、見覚えのない女の子が写っていた。
おかっぱ頭で、少し俯いている。他の子たちのように笑っていない。けれど、制服も並び方も自然で、最初からそこにいたみたいだった。
「こんな子、いたか?」
俺は記憶を探ったが、思い出せなかった。
「明日、事務室で名簿と照らし合わせてみる」
丸山はそう言って帰った。
そのとき、ふと思い出した。前に母親が事務室の人と話していたことがある。
「この学校、昔から人数が一人合わないことがあるんですよ」
そんな声だけ、妙にはっきり覚えていた。あのときは、ただの事務ミスだと思っていた。
次の日、丸山は学校に来なかった。
風邪だろうと、最初はみんな思っていた。けれど三日経っても、一週間経っても、丸山の席は空いたままだった。
先生に聞くと、「丸山くんはお休みです」とだけ言われた。それ以上は、何を聞いても教えてもらえなかった。
二週間目に入ったころ、俺は気づいた。
朝の出席で、先生はもう丸山の名前を呼んでいなかった。
放課後、俺は一人で教室の後ろへ行った。
三列目、右から四番目。
そこにいたのは、丸山だった。
見覚えのない女の子は、いなくなっていた。代わりに、俺の知っている丸山の顔が、俯き加減でそこにあった。
俺は数えた。
二十九、三十、三十一。
やっぱり、一人多かった。
体育館の裏で、用務員のおじさんを見つけた。脚立に登って、切れかけた電球を替えていた。
「丸山、どこ行ったんですか」
おじさんは電球から目を離さずに言った。
「聞かない方がいい」
「教えてください」
しばらくして、おじさんは脚立を降りた。道具箱を持ち上げる前に、一度だけ俺の顔を見た。
「数えたらな、向こうもこっちを数えるんだよ」
それだけ言うと、おじさんは行ってしまった。
俺はその日から、写真を見ないようにした。教室の後ろを通るときは、必ず反対側の壁を見るようにした。
六年生になって、俺は卒業アルバムの制作を手伝うことになった。
写真部の顧問から、歴代の集合写真をスキャンしてデータ化する仕事を任された。委員はくじで決まっていたから、断るわけにもいかなかった。
資料室の棚から古いアルバムを出し、一枚ずつスキャナーに置いていく。
一年生。二年生。三年生。
四年生の写真を置いたとき、俺は手を止めた。
三列目、右から四番目。
そこに写っていたのは、俺だった。
四年生の写真撮影の日、俺は学校にいなかった。体育の授業で足首を骨折して、病院のベッドにいた。母親が病室で撮った写真には、ギプスをした足と点滴の管が写っている。
なのに、集合写真の中の俺は、俯き加減で立っていた。
俺は震える指で数えた。
二十九、三十、三十一。
一人多かった。
五年生の写真にも、俺がいた。
三列目、右から四番目に。
そして六年生の写真を見たとき、俺はスキャナーの蓋を開けたまま動けなくなった。
俺は、二回写っていた。
一度は、名簿順に並んだ本来の場所に。
もう一度は、三列目、右から四番目に。
これまでは、いなくなった誰かがその場所に現れるだけだった。俺はまだ消えていない。毎日学校に来ている。授業も受けている。
それなのに、もうそこにいる。
俺は写真部の先生のところへ行った。
「これ、何人写ってますか」
先生は写真を覗き込んだ。少しだけ間があった。
「数えない方がいい」
先生は小さな声で言った。
「私も、もう数えないことにしてるの」
卒業式の日、俺は最後にもう一度、教室の後ろの写真を見に行った。
一年生の写真から順に、目で追っていく。
三列目、右から四番目に写っている顔は、学年が上がるごとに変わっていた。
田中、鈴木、丸山、俺。
知っている顔と、知らない顔が、順番にそこへ入っていた。
最後の一枚は、卒業式の朝に撮られたばかりの写真だった。
三列目、右から四番目。
そこには、まだ誰でもないものが写っていた。
制服を着た輪郭だけがあって、顔の部分だけが、うっすらとぼやけている。
校門を出るとき、用務員のおじさんとすれ違った。
おじさんは俺の顔を見た。何かを言いかけて、やめた。
俺も何も聞かなかった。
それから何年も経った。
大人になった今でも、たまに夢を見る。
体育館の壇上に立っている夢だ。カメラマンが「動かないでください」と言う。みんなが息を止める。シャッターが切れる直前、隣に誰かが立つ気配がする。
振り向いてはいけない気がして、俺はいつも前を向いたまま目を覚ます。
先月、実家に帰ったとき、押し入れから古いアルバムを見つけた。
小学校時代の集合写真だった。
もう数えるつもりはなかった。
けれど、開いてしまった以上、確かめずにはいられなかった。
三列目、右から四番目。
そこには、誰もいなかった。
空白があるわけでも、消しゴムで消したような跡があるわけでもない。最初から誰も立っていなかったみたいに、隣の子と隣の子の間が自然に詰まっていた。
俺はアルバムを閉じて、しばらく畳の上に座っていた。
安心していいはずなのに、指先だけが冷たかった。
窓の外で、近所の子どもたちの声がしていた。笑い声が遠のいて、家の中が急に静かになったように感じたとき、俺はもう一度アルバムを開いた。
自分の並び順の場所。
もともと俺がいたはずの場所。
そこにも、俺はいなかった。
代わりに、俯き加減の、見覚えのない顔があった。
けれど名簿順で言えば、そこは確かに俺の場所だった。

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