2022年、千葉県松戸市の神社で、ロシアのプーチン大統領の顔写真を付けた藁人形が相次いで見つかった。人形は御神木などに釘で打ちつけられ、胸には生年月日や「抹殺祈願」と書かれた紙が挟まれていた。
被害は市内10カ所以上の神社で確認され、警察は男性を建造物侵入と器物損壊の疑いで逮捕した。伝統的な丑の刻参りと同じ作法だったかは分からない。それでも、藁人形、顔写真、釘、神社という組み合わせを見れば、多くの日本人は同じものを思い浮かべるだろう。(千葉日報)
白装束の人物が、ろうそくを立てた鉄輪を頭にかぶり、深夜の神社で藁人形へ五寸釘を打つ。日本で「呪い」と聞いたとき、真っ先に浮かぶのが丑の刻参りだ。
だが、この姿は古代から変わらず伝わってきたものではない。深夜の願掛け、嫉妬に狂う鬼女、神木への釘、人間に見立てた形代。もともと別々だった要素が江戸時代に結びつき、現在の「日本の呪い」が作られていった。
なぜ、その形は21世紀の今も通じるのだろうか。
よく知られる姿では、術者は白装束を着て、五徳を逆さにしたような鉄輪を頭にかぶり、そこへろうそくを立てる。誰にも見られず七夜続ければ呪いが成就するともいわれる。
ただし、服装、人形の素材、釘の数、続ける日数は伝承によって違う。現在知られる作法が一冊の古い呪術書に書かれ、そのまま受け継がれたわけではない。
平城宮跡からは、両目と胸に木釘を打ち込まれた8世紀後半の木製人形が出土している。別の人形には、相手の病気や死を願ったとみられる文字が残されていた。
当時の律令にも、人形を作って心を刺し、目へ釘を打ち、手足を縛って相手を病気や死に至らせようとする行為への罰が記されている。呪いが本当に効いたかどうかとは別に、人形を使って他人を害そうとする行為は現実に存在していた。
もっとも、ここにはまだ丑の刻も、貴船神社も、白装束の鬼女も登場しない。
1515年頃の『清凉寺縁起』には、ある尼が深い信仰心から長年にわたって丑の時に参詣した話がある。謡曲『橋弁慶』でも、武蔵坊弁慶が宿願をかなえるため、五条天神へ丑の時詣でに向かう。
どちらにも藁人形や釘は出てこない。人の眠る時間に寺社へ通うこと自体が、願いの切実さを示していた。
そこへ嫉妬と鬼女のイメージを持ち込んだのが、宇治の橋姫伝説である。
『平家物語』剣の巻では、ある公卿の娘が嫉妬から貴船明神へこもり、「生きながら鬼になって憎い女を殺したい」と願う。神託に従って髪を角のように分け、身体を赤く塗り、頭へ鉄輪を載せて火を灯す。そして宇治川に入り、鬼になったとされる。
能『鉄輪』では、男に捨てられた女が後妻を恨み、丑の刻に貴船神社へ通う。女は鉄輪に火を灯し、「恨みの鬼」へ変わって男を襲う。(能・演目事典『鉄輪』)
ここで丑の時詣でと、裏切られた女性の嫉妬、鉄輪をかぶった鬼女が結びついた。ただし、この段階でも藁人形は登場しない。
丑の刻に寺社へ参る願掛け。嫉妬した女性が鉄輪をかぶって鬼になる橋姫伝説。神仏や神木へ釘を打って願いを強いる行為。そして、人間に見立てた形代へ釘を打つ呪術である。
近世に入ると、これらが芝居や絵の中で接続される。
1701年の近松門左衛門『蝉丸』には、嫉妬した女性が火を灯した鉄輪をかぶり、神木へ釘を打つ場面が登場する。1779年の鳥山石燕『今昔画図続百鬼』では、胸に鏡を隠し、頭に三本のろうそくを立て、丑三つ時に神社の杉へ釘を打つ姿が描かれた。
藁人形の使用が確認できるのは18世紀後半からで、19世紀には「藁人形を木へ打ちつける」姿が物語や絵の中で定着していく。
丑の刻参りは、古代から完成していた儀式ではなかった。信仰、伝説、呪術、娯楽が混ざり合い、江戸時代に誰もが知る姿へ近づいたのである。(國學院大學学術情報リポジトリ)
丑の刻参りの術者が、男に裏切られた女性として描かれることが多いのも、この形成過程と関係している。実際の呪術者がすべて女性だったわけではない。女性の怒りや執着を「嫉妬」「狂気」「鬼」として描く物語が、繰り返し好まれたのである。
一方で、直接相手へ復讐できず、訴えを聞き入れてもらえない者にとって、神仏への呪詛は最後に残された抵抗だったとも考えられる。鬼女の姿は女性の恐ろしさだけでなく、鬼にでもならなければ怒りを表せなかった人間の姿でもある。

日本の形代には、人間の罪や穢れ、病気、災厄を代わりに引き受けてもらう役割があった。岩手県では、藁人形を門口や辻に立て、一年の無病息災を願う風習も行われてきた。(岩手県立博物館)
厄払いと呪いは正反対に見えるが、根にある発想はよく似ている。人形を誰かの身代わりにして、目に見えない病気や災厄、恨みをそこへ移す。人形に悪いものを背負わせて捨てれば本人は助かり、相手に見立てて傷つければ苦しみが本人へ届くと考える。
文化人類学では、似ている物は同じように作用し、一度触れた物は離れてもつながり続けるという発想を「類感呪術」と呼ぶ。藁人形が相手の身体を表し、名前、髪、写真などが人形と本人を結びつける。
この感覚は現代人にも残っている。理屈では無関係だと分かっていても、嫌いな人物が一度着た服を避けたり、排泄物そっくりに作られた食べ物へ嫌悪感を抱いたりする。人形の呪いは、私たちと無縁の奇妙な発想ではない。(Cambridge University Press)
古代ギリシャやローマでは、相手の名前や願いを書いた鉛板を丸め、釘で貫いて墓や井戸へ埋める「呪詛板」が使われた。裁判で相手が話せなくなるようにする、商売敵を失敗させる、競技相手を負けさせるなど、その内容は驚くほど現実的だった。(大英博物館)
ヨーロッパにも、対象者に見立てた蝋や布の人形へ針を刺す「ポペット」が存在した。コンゴ地域のンキシ・ンコンディには大量の釘や刃が打ち込まれているが、こちらは盗人や契約違反者を裁き、共同体を守る役割も持っていた。
一方、映画で有名な「ブードゥー人形へ針を刺す呪い」は、実際のハイチ・ヴードゥーとはほとんど関係がない。ヴードゥーで使われる人形は、死者や祖先へメッセージを届けるもので、邪悪な呪い人形というイメージは20世紀の書籍や映画によって広められた。(カナダ歴史博物館)
遠く離れた文化で似た呪術が生まれたのは、どこかから一つの作法が伝わったからとは限らない。「人に似た物を傷つければ本人にも届く」という感覚を、人間が共通して持っているからだろう。

一つには、直接やり返せないからだ。
相手の方が強い。社会的な地位が高い。裏切られた証拠がない。被害を訴えても信じてもらえない。正面から反撃できない人にとって、呪いは現実の力関係を飛び越え、神仏に裁きを求める手段になった。
もう一つは、壊された公正を取り戻したいからである。
自分を傷つけた人間が何の罰も受けずに暮らしていると、人は強い苦痛を感じる。呪う側にとって、それは単なる八つ当たりではなく、「悪いことをした者には報いがあるべきだ」という私的な裁判でもある。
そして呪いには、無力感を行動へ変える働きがある。恨みや怒りには形がない。しかし、藁を束ね、人形を作り、名前を書き、釘を打つことで、何もできなかった自分が「何かをした自分」に変わる。儀式が不安を和らげ、物事を自分で動かしている感覚を与えることは、心理学の実験でも示されている。(Harvard Business School掲載研究)
人形に釘を打つことで、遠く離れた相手の身体が傷つくという科学的証拠はない。ただし、「自分は呪われた」と知り、その力を強く信じた人が恐怖から体調を崩すことはある。悪い結果を予期することで実際に症状が生じる現象は、ノセボ効果と呼ばれる。(医学論文レビュー)
呪いが現実に影響するとすれば、超自然的な力よりも、それを信じる人間の心を通した場合だろう。
科学が発達しても、恨みや無力感まで消えるわけではない。現実の社会で相手を裁けず、自分では何も変えられないと感じたとき、人は目に見えない力へ裁きを預けたくなる。
藁人形に残るのは、相手の傷ではなく、呪った側の行き場を失った怒りである。
被害は市内10カ所以上の神社で確認され、警察は男性を建造物侵入と器物損壊の疑いで逮捕した。伝統的な丑の刻参りと同じ作法だったかは分からない。それでも、藁人形、顔写真、釘、神社という組み合わせを見れば、多くの日本人は同じものを思い浮かべるだろう。(千葉日報)
白装束の人物が、ろうそくを立てた鉄輪を頭にかぶり、深夜の神社で藁人形へ五寸釘を打つ。日本で「呪い」と聞いたとき、真っ先に浮かぶのが丑の刻参りだ。
だが、この姿は古代から変わらず伝わってきたものではない。深夜の願掛け、嫉妬に狂う鬼女、神木への釘、人間に見立てた形代。もともと別々だった要素が江戸時代に結びつき、現在の「日本の呪い」が作られていった。
なぜ、その形は21世紀の今も通じるのだろうか。
丑の刻参りとは何か
一般に知られる丑の刻参りは、丑の刻とされる深夜に神社へ行き、憎い相手に見立てた藁人形を御神木へ釘で打ちつける呪術である。よく知られる姿では、術者は白装束を着て、五徳を逆さにしたような鉄輪を頭にかぶり、そこへろうそくを立てる。誰にも見られず七夜続ければ呪いが成就するともいわれる。
ただし、服装、人形の素材、釘の数、続ける日数は伝承によって違う。現在知られる作法が一冊の古い呪術書に書かれ、そのまま受け継がれたわけではない。
人形に釘を打つ呪いは本当にあった
丑の刻参りそのものではないが、人間に見立てた物へ釘を打つ呪術は、少なくとも奈良時代までさかのぼる。平城宮跡からは、両目と胸に木釘を打ち込まれた8世紀後半の木製人形が出土している。別の人形には、相手の病気や死を願ったとみられる文字が残されていた。
当時の律令にも、人形を作って心を刺し、目へ釘を打ち、手足を縛って相手を病気や死に至らせようとする行為への罰が記されている。呪いが本当に効いたかどうかとは別に、人形を使って他人を害そうとする行為は現実に存在していた。
もっとも、ここにはまだ丑の刻も、貴船神社も、白装束の鬼女も登場しない。
最初の「丑の時詣で」は呪いではなかった
中世の記録に登場する「丑の時詣で」は、必ずしも他人を呪うものではなかった。1515年頃の『清凉寺縁起』には、ある尼が深い信仰心から長年にわたって丑の時に参詣した話がある。謡曲『橋弁慶』でも、武蔵坊弁慶が宿願をかなえるため、五条天神へ丑の時詣でに向かう。
どちらにも藁人形や釘は出てこない。人の眠る時間に寺社へ通うこと自体が、願いの切実さを示していた。
そこへ嫉妬と鬼女のイメージを持ち込んだのが、宇治の橋姫伝説である。
『平家物語』剣の巻では、ある公卿の娘が嫉妬から貴船明神へこもり、「生きながら鬼になって憎い女を殺したい」と願う。神託に従って髪を角のように分け、身体を赤く塗り、頭へ鉄輪を載せて火を灯す。そして宇治川に入り、鬼になったとされる。
能『鉄輪』では、男に捨てられた女が後妻を恨み、丑の刻に貴船神社へ通う。女は鉄輪に火を灯し、「恨みの鬼」へ変わって男を襲う。(能・演目事典『鉄輪』)
ここで丑の時詣でと、裏切られた女性の嫉妬、鉄輪をかぶった鬼女が結びついた。ただし、この段階でも藁人形は登場しない。
江戸時代に「日本の呪い」が完成した
國學院大學の鳴海あかり氏によると、中世以前には、現在の丑の刻参りを構成する要素が別々に存在していた。丑の刻に寺社へ参る願掛け。嫉妬した女性が鉄輪をかぶって鬼になる橋姫伝説。神仏や神木へ釘を打って願いを強いる行為。そして、人間に見立てた形代へ釘を打つ呪術である。
近世に入ると、これらが芝居や絵の中で接続される。
1701年の近松門左衛門『蝉丸』には、嫉妬した女性が火を灯した鉄輪をかぶり、神木へ釘を打つ場面が登場する。1779年の鳥山石燕『今昔画図続百鬼』では、胸に鏡を隠し、頭に三本のろうそくを立て、丑三つ時に神社の杉へ釘を打つ姿が描かれた。
藁人形の使用が確認できるのは18世紀後半からで、19世紀には「藁人形を木へ打ちつける」姿が物語や絵の中で定着していく。
丑の刻参りは、古代から完成していた儀式ではなかった。信仰、伝説、呪術、娯楽が混ざり合い、江戸時代に誰もが知る姿へ近づいたのである。(國學院大學学術情報リポジトリ)
丑の刻参りの術者が、男に裏切られた女性として描かれることが多いのも、この形成過程と関係している。実際の呪術者がすべて女性だったわけではない。女性の怒りや執着を「嫉妬」「狂気」「鬼」として描く物語が、繰り返し好まれたのである。
一方で、直接相手へ復讐できず、訴えを聞き入れてもらえない者にとって、神仏への呪詛は最後に残された抵抗だったとも考えられる。鬼女の姿は女性の恐ろしさだけでなく、鬼にでもならなければ怒りを表せなかった人間の姿でもある。

藁人形は人を呪い、人を守った
藁人形は、呪いのためだけに作られてきたものではない。日本の形代には、人間の罪や穢れ、病気、災厄を代わりに引き受けてもらう役割があった。岩手県では、藁人形を門口や辻に立て、一年の無病息災を願う風習も行われてきた。(岩手県立博物館)
厄払いと呪いは正反対に見えるが、根にある発想はよく似ている。人形を誰かの身代わりにして、目に見えない病気や災厄、恨みをそこへ移す。人形に悪いものを背負わせて捨てれば本人は助かり、相手に見立てて傷つければ苦しみが本人へ届くと考える。
文化人類学では、似ている物は同じように作用し、一度触れた物は離れてもつながり続けるという発想を「類感呪術」と呼ぶ。藁人形が相手の身体を表し、名前、髪、写真などが人形と本人を結びつける。
この感覚は現代人にも残っている。理屈では無関係だと分かっていても、嫌いな人物が一度着た服を避けたり、排泄物そっくりに作られた食べ物へ嫌悪感を抱いたりする。人形の呪いは、私たちと無縁の奇妙な発想ではない。(Cambridge University Press)
人形を傷つける呪いは世界にもあった
古代エジプトでは、対象者の髪を付け、呪文を書いた紙を埋め込んだ蝋人形が見つかっている。4世紀頃の女性像には13本の針が刺され、手足は後ろで縛られていた。古代ギリシャやローマでは、相手の名前や願いを書いた鉛板を丸め、釘で貫いて墓や井戸へ埋める「呪詛板」が使われた。裁判で相手が話せなくなるようにする、商売敵を失敗させる、競技相手を負けさせるなど、その内容は驚くほど現実的だった。(大英博物館)
ヨーロッパにも、対象者に見立てた蝋や布の人形へ針を刺す「ポペット」が存在した。コンゴ地域のンキシ・ンコンディには大量の釘や刃が打ち込まれているが、こちらは盗人や契約違反者を裁き、共同体を守る役割も持っていた。
一方、映画で有名な「ブードゥー人形へ針を刺す呪い」は、実際のハイチ・ヴードゥーとはほとんど関係がない。ヴードゥーで使われる人形は、死者や祖先へメッセージを届けるもので、邪悪な呪い人形というイメージは20世紀の書籍や映画によって広められた。(カナダ歴史博物館)
遠く離れた文化で似た呪術が生まれたのは、どこかから一つの作法が伝わったからとは限らない。「人に似た物を傷つければ本人にも届く」という感覚を、人間が共通して持っているからだろう。

人はなぜ誰かを呪うのか
誰かの不幸を願うだけなら、人形も釘も必要ない。それでも人は人形を作り、名前を書き、夜中に神社へ向かい、釘を打ってきた。一つには、直接やり返せないからだ。
相手の方が強い。社会的な地位が高い。裏切られた証拠がない。被害を訴えても信じてもらえない。正面から反撃できない人にとって、呪いは現実の力関係を飛び越え、神仏に裁きを求める手段になった。
もう一つは、壊された公正を取り戻したいからである。
自分を傷つけた人間が何の罰も受けずに暮らしていると、人は強い苦痛を感じる。呪う側にとって、それは単なる八つ当たりではなく、「悪いことをした者には報いがあるべきだ」という私的な裁判でもある。
そして呪いには、無力感を行動へ変える働きがある。恨みや怒りには形がない。しかし、藁を束ね、人形を作り、名前を書き、釘を打つことで、何もできなかった自分が「何かをした自分」に変わる。儀式が不安を和らげ、物事を自分で動かしている感覚を与えることは、心理学の実験でも示されている。(Harvard Business School掲載研究)
人形に釘を打つことで、遠く離れた相手の身体が傷つくという科学的証拠はない。ただし、「自分は呪われた」と知り、その力を強く信じた人が恐怖から体調を崩すことはある。悪い結果を予期することで実際に症状が生じる現象は、ノセボ効果と呼ばれる。(医学論文レビュー)
呪いが現実に影響するとすれば、超自然的な力よりも、それを信じる人間の心を通した場合だろう。
呪いが消えない理由
2022年に見つかった藁人形は、丑の刻参りが過去の怪談だけではないことを示した。ただし、逮捕された男性が何を考え、どこまで呪術を信じていたのかは分かっていない。確認できるのは、21世紀の人間が強い怒りを表すために、藁人形と釘という古い形式を選んだことだけだ。科学が発達しても、恨みや無力感まで消えるわけではない。現実の社会で相手を裁けず、自分では何も変えられないと感じたとき、人は目に見えない力へ裁きを預けたくなる。
藁人形に残るのは、相手の傷ではなく、呪った側の行き場を失った怒りである。
もし現実の社会がすべての恨みを正しく裁けるなら、人はもう誰かを呪わなくなるのだろうか。
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