100万人規模のデモが起きた香港で、今度は「扇動的」な本を売ったとして5人が逮捕された。

2026年7月、香港警察は独立系書店2店を捜索した。容疑は、香港政府や司法、警察への憎悪をあおる書籍を販売したことだった。捜索を受けた書店の一つは、閉店理由として経営難だけでなく、規制の曖昧さを挙げていた。明確な禁止図書の一覧はなく、店側が何を置けるのか推測せざるを得ない。

その7年前、逃亡犯条例の改正に反対し、主催者発表で100万人を超える市民が香港の街頭に集まった。1週間後には約200万人が参加したと発表され、若者から会社員、家族、高齢者までが道路を埋めた。

日本で香港民主化運動の顔として知られた周庭は香港に戻らず、黄之鋒は今も獄中にいる。

現在、その規模の政治デモは姿を消した。問題が解決したからか。それとも、声を上げる代償が大きくなったからか。
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2019年6月16日の香港デモ(撮影:Iris Tong/Voice of America/Public Domain/Wikimedia Commons)


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約束2047年まで守られるはずだった自由

香港は約150年にわたる英国統治を経て、1997年7月1日に中国へ返還された。中英共同声明では「高度な自治」を認め、従来の資本主義制度や生活様式を50年間維持するとされた。外交と防衛を除き、中国本土とは異なる法律、司法、通貨、経済制度を残す。これが「一国二制度」だった。

香港の憲法にあたる基本法にも、言論、報道、出版、集会、デモの自由が明記され、行政長官と立法会の選出では普通選挙が最終目標に掲げられた。

ただし、英国統治時代も完全な民主主義ではない。市民が総督を選べたわけではなく、本格的な選挙制度の導入は統治末期だった。それでも中国本土とは異なる裁判制度があり、政府を批判する新聞が売られ、天安門事件の追悼集会も開かれていた。

自由を保障する条文はあっても、最終的な解釈権は北京にあった。2047年まで維持されるはずの制度を、香港市民だけで守ることはできなかった。

引き金逃亡犯条例で噴き出した長年の不信

発端は2018年、台湾で起きた殺人事件だった。事件の容疑者とされた香港人の男が香港へ戻ったものの、香港と台湾の間には犯罪容疑者を引き渡す協定がなかった。この「法の穴」を埋めるとして、香港政府は協定のない国や地域にも事件ごとに容疑者を引き渡せる逃亡犯条例改正案を提出した。その対象には中国本土も含まれていた。

政府は政治犯を除外する仕組みがあり、一般市民が恐れる必要はないと説明した。しかし弁護士、記者、経営者、民主活動家らは、中国本土の司法制度に送られる道が開くことを恐れた。香港で合法だった政府批判が、中国本土の法律で裁かれるのではないか。刑事手続きの改正は、香港と中国本土の境界を揺るがす問題になった。

不信はすでに積み重なっていた。2003年には国家安全条例案、2012年には愛国心を強調する「国民教育」に大規模な反対運動が起きた。2014年の雨傘運動では、北京側が候補者を事実上選別する行政長官選挙案に対し、若者たちが普通選挙を求めて道路を占拠した。

2015年には、中国共産党に批判的な本を扱う「銅鑼湾書店」の関係者5人が相次いで失踪し、後に中国本土で拘束されていたと判明した。香港の内側にいれば本土の捜査から守られるという感覚は、すでに揺らいでいた。

逃亡犯条例は怒りを生んだ原因というより、返還後20年以上の不信に火をつけた引き金だった。

拡大100万人規模の抗議は、なぜ終わらなかったのか

2019年6月9日、改正案の撤回を求める大規模デモが行われた。主催団体は約103万人、警察はピーク時約24万人と発表した。算定には大きな差があるが、異例の規模だったことに疑いはない。

政府が審議を続けようとした6月12日、立法会周辺で抗議者と警察が衝突し、催涙弾やゴム弾が使われた。当局が衝突を「暴動」と表現したことで、怒りは警察の対応にも向かった。政府は15日に審議延期を発表したが、完全な撤回ではない。翌16日のデモについて、主催者は約200万人が参加したと発表した。

やがて抗議者は「五大要求、ひとつも欠くな」を掲げるようになった。改正案の完全撤回、暴動認定の撤回、逮捕者の釈放と訴追中止、警察対応を検証する独立調査委員会の設置、行政長官と立法会の普通選挙だ。

10月、改正案は正式に撤回された。それでもデモが終わらなかったのは、争点が一つの法案を越えていたからだ。行政長官を直接選べず、警察への疑念を独立機関に調べさせることもできない。根底には、自分たちの街の重要な決定に参加できないという無力感があった。

激化指導者のいない運動は、なぜ激化したのか

2019年の運動には、全体を指揮する明確な指導者がいなかった。抗議者は匿名掲示板「LIHKG」やTelegramで行き先や物資を相談し、警察が来れば移動して別の場所に集まった。ブルース・リーの言葉に由来する「水になれ」が合言葉になった。

指導者を逮捕すれば終わる従来型の運動と違い、当局が全体を封じるのは難しかった。その半面、抗議者側も運動を制御できなかった。7月1日には一部が立法会に突入した。道路封鎖、地下鉄施設への放火、火炎瓶、抗議者が親中派とみなした市民への暴行も起きた。

警察も催涙弾、放水車、ゴム弾を使い、大量の逮捕者が出た。元朗駅で白い服の集団が乗客らを襲った際は、警察の到着が遅れたことから癒着を疑う声が広がった。平和的なデモ、強制排除、一部抗議者の報復が繰り返され、暴力が次の暴力を正当化していった。中国政府と香港政府は、運動を外国勢力に支援された「黒い暴力」と位置づけた。

ただ、運動を一部の過激な若者だけのものともみなせない。11月の区議会選挙では記録的な投票率のなか、民主派が議席の大半を獲得した。暴力への評価とは別に、香港政府と北京への不満は幅広い層に存在していた。

人物国外へ去った周庭、獄中に残った黄之鋒

日本で香港民主化運動の顔として知られた一人が、周庭(英語名アグネス・チョウ)だった。学生団体「学民思潮」で国民教育反対運動や雨傘運動に関わり、黄之鋒や羅冠聡らと政党「香港衆志」を設立した。

周庭は日本語で香港の状況を伝え、日本のアニメや文化への親しみも語った。香港政治に詳しくない人にも、同世代の若者が自由を訴える姿として注目され、「民主の女神」と呼ばれた。

2020年、周庭は警察本部周辺での無許可集会をめぐって実刑判決を受け、国家安全維持法違反の疑いでも逮捕された。釈放後も旅券を取り上げられ、定期的な出頭を求められた。2023年、カナダ留学のため出国を認められた後、香港へ戻らないと表明した。本人は長年の監視などにより心身の状態を崩し、自由を取り戻すための決断だったと説明している。
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2021年6月、出所した周庭(撮影:Studio Incendo/CC BY 2.0/Wikimedia Commons)
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2019年の黄之鋒(撮影:Studio Incendo/CC BY 2.0/Wikimedia Commons)

周庭とともに日本で知られたのが、黄之鋒(英語名ジョシュア・ウォン)だった。日本のネット上では、その顔立ちがネットミーム「チー牛」のイラストに似ているとして、一部で「チー牛」と呼ばれた。

だが黄之鋒は、14歳だった2011年に学民思潮を結成し、周庭より早く政治活動を始めている。2014年の雨傘運動では17歳で世界的な注目を集め、普通選挙を訴える若者の象徴になった。2019年も国外へ支援を呼びかけたが、デモ全体を指揮したわけではない。黄之鋒と周庭は、指導者というより香港の要求を国外へ伝える存在だった。

2020年、民主派は立法会選挙に向けて非公式予備選を実施した。議会で過半数を取り、予算案の否決を通じて政府に要求を迫る構想を、当局は国家政権転覆の計画と認定した。黄之鋒を含む47人が起訴された「香港47人事件」である。

黄之鋒は2024年に禁錮4年8カ月の判決を受け、2025年には外国勢力との共謀罪で再び起訴された。2026年7月現在も服役し、追加事件の量刑が同年9月に予定されている日本のネットでは外見が話題になった黄之鋒だが、本人は14歳から政治活動を続け、現在も獄中にいる。

法律法律に自由を残したまま、反対派が消えていく

香港基本法27条は今も、言論、報道、出版、集会、行進、デモの自由を保障している。

一方、2020年6月30日、北京で香港国家安全維持法が制定された。国家分裂、国家政権転覆、テロ活動、外国勢力との共謀を犯罪とし、重大な事件では終身刑もあり得る。2021年には選挙制度が変更され、立候補者が「愛国者」であるかを審査する仕組みも強化された。

2024年には香港政府が基本法23条に基づく国家安全条例を施行し、国家反逆、反乱、破壊活動、外国からの干渉、国家機密の窃取、扇動などへの規制を広げた。

香港政府と中国政府は、対象は国家の安全を脅かすごく少数の人物だけで、一般市民の権利や通常の報道は守られていると説明する。政府側は、放火や破壊、暴行を止め、香港を混乱から秩序へ戻したと主張する。実際、地下鉄が止まり、道路で火炎瓶が飛び交う光景はなくなった。

街の治安が戻る一方で、政府に反対するための道は狭くなった。この二つは矛盾しない。どの言葉が国家転覆にあたり、どの海外との接触が外国勢力との共謀になるのか。境界が読めなければ、人は逮捕される前に自分から黙る。すべての言葉を禁じなくても、市民自身に違法となる範囲を推測させれば自己検閲は広がる。

メディア新聞が消え、最後に書店が残った

香港の変化を象徴するのが、民主派寄りの新聞『蘋果日報』の廃刊だ。刺激的な見出しや政治色の強い大衆紙で、中立的な新聞ではなかった。それでも、中国政府を正面から批判する大手紙が街頭で売られていること自体が香港の特徴だった。

創業者の黎智英(英語名ジミー・ライ)は民主派を支援し、米国などに中国と香港政府への圧力を求めていた。2020年以降、黎智英や幹部が相次いで逮捕され、警察が編集部を捜索した。2021年6月に関連会社の資産が凍結され、『蘋果日報』は24日付を最後に廃刊した。

黎智英は2025年に外国勢力との共謀や扇動的出版物をめぐる罪で有罪となり、2026年2月に禁錮20年を言い渡された。香港政府は、裁かれたのは報道ではなく国家安全を害する犯罪だとしている。

2019年のデモを詳しく報じた独立系ネットメディア『立場新聞』も、2021年に捜索と資産凍結を受けて閉鎖し、元編集長らが扇動罪で有罪となった。2026年の世界報道自由度ランキングで、香港は180の国と地域のうち140位だった。

新聞社が閉じた後も、小規模な出版社や書店は残った。だが2026年、今度は書店が捜索され、扱う本の内容が摘発理由になった。言論の自由は、発言者が逮捕された時だけ失われるのではない。発言を載せる新聞、売る書店、議論する政党がなくなった時にも失われる。
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現在見た目は以前と変わらない香港

現在の香港を歩いても、街全体が抑圧に覆われているようには見えない。繁華街には観光客が集まり、金融機関は営業し、映画もコンサートも開催される。政治と距離を置けば、以前と変わらないと感じる市民もいるだろう。

一方で、大規模デモを主催した民間人権陣線、独立系労働組合、民主派政党、市民団体は次々と解散した。2025年には、公然と活動していた最後の民主派政党も「甚大な政治的圧力」を理由に解散した。天安門事件の追悼集会もなくなり、民主派の中心人物は獄中か海外にいる。多くの香港人が英国やカナダ、台湾へ移住し、街頭からレノンウォールや政府批判の標語が消えた。

自由が失われる場面というと、戦車やクーデターのような劇的な光景を想像しやすい。香港の変化はもっと静かだった。基本法の条文は残り、金融街も動いている。その横で候補者が消え、新聞社の資産が凍結され、書店が置ける本を選別し始める。

台湾台湾が香港を警戒する理由

2019年の抗議運動の直接の発端となった逃亡犯条例改正案は、台湾で起きた殺人事件を受けて提出された。その後、香港の結末は台湾社会の対中認識にも影響した。

若者が政治の前面に立ったのは香港だけではない。雨傘運動と同じ2014年、台湾では中国とのサービス貿易協定の審議方法に反発した学生らが立法院を占拠した。「ひまわり学生運動」である。協定への不安に加え、重要な決定が十分な審議なしに進むことへの反発があった。運動後、一部の参加者は政党、市民団体、行政へ活動の場を移した。

台湾と香港では政治的な立場も運動の結末も異なる。台湾では若者がその後も選挙や市民活動に関われた。香港では黄之鋒が収監され、周庭は国外へ去り、政党も解散した。違いは若者の政治意識ではなく、異議申し立ての後に残された道にあった。

中国政府は台湾を自国の一部とみなし、統一後の制度として「一国二制度」を提案してきた。香港と台湾の立場は同じではない。台湾には独自の政府、軍、選挙、通貨があり、中国政府の統治を受けていない。それでも台湾にとって香港は、「一国二制度」がどう運用されるかを示す現実の例だった。

香港では返還時に高度な自治を約束され、基本法にも自由が明記された。それでも国家安全が優先されると、制度は北京主導で変更された。台湾側から見れば、中国が自治を約束するかより、中国の統治を受け入れた後に約束が破られた時、誰が止められるのかが問題になる。

2019年当時の蔡英文総統は「一国二制度」は受け入れられないと明言した。2024年の台湾総統選でも、主要政党はいずれも香港型の統治を否定した。香港で中国の約束への信頼が失われたことも、台湾が警戒する大きな理由の一つだ。

結末香港デモは何を残したのか

デモは逃亡犯条例改正案の撤回には成功した。しかし普通選挙や独立調査委員会は実現せず、その後は国家安全維持法と選挙制度の変更によって、求めた政治改革とは逆に民主派の活動空間が狭められた。その一方、香港の変化は世界に伝わり、台湾では「一国二制度」への不信が一段と深まった。

周庭は香港へ戻らず、黄之鋒は獄中にいる。『蘋果日報』も『立場新聞』もなくなり、独立系書店までが摘発された。それでも基本法には、今も言論、報道、出版、集会、デモの自由が書かれている。

香港の街からデモが消えたのは、対立が解決したからではない。抗議できる制度と、その声を伝える媒体が先に消えたからだ。

主な参照資料

・香港基本法第27条
・1984年中英共同声明および英国政府の香港報告
・香港政府「国家安全維持法」「国家安全条例」関連資料
・Reuters、APによる2019年香港デモ、周庭、黄之鋒、香港47人事件、書店摘発の報道
・国境なき記者団「世界報道自由度ランキング2026」
・台湾総統府、ひまわり学生運動、台湾総統選をめぐる報道

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