はっきり幽霊を見たわけではない。命からがら逃げたわけでもない。それでも、あとになって何度も思い返してしまう出来事がある。

今回は、掲示板「ほんのりと怖い話スレ」に寄せられた体験談から、静かに後を引く10本を選んだ。何もない壁、地図にないコンビニ、二階のない部屋から聞こえる足音。どれも、日常のすぐ隣で起きた話である。

壁の顔



HONNORI HORROR 01

何もない壁

大部屋の患者が、トイレに行くたび職員を呼ぶようになった。

「壁に、顔があるんです」

壁に人の顔のようなシミが浮かび、いつ見てもこちらを向いている。気味が悪くて落ち着かないから、上からペンキを塗って消してほしいという。

職員が付き添い、患者の指さす場所を確かめた。そこにあるのは、何の変哲もない壁だった。顔らしい模様もなければ、目につく汚れすらない。光の加減か、体調のせいだろうと宥め、その日は部屋へ戻ってもらった。

数日後、同じ大部屋の別の患者が言った。

「あそこに顔がありますよね」

さらに二人、三人と、同じ壁を気にする患者が増えていった。誰に尋ねても、指さす場所まで同じだった。

最初の患者から話を聞いたのだろう。顔があると思って見れば、何でもない壁もそう見えてくる。職員たちはそう考えたが、訴えが収まらないため、患者たちが指さすあたりをペンキで塗り潰した。

これで済んだはずだった。

数日後、今度は別の階の患者が職員を呼び止めた。最初の大部屋とは離れており、そこの患者たちと話す機会もほとんどない人だった。

その患者は、トイレの方を気にしながら言った。

「壁に、顔があるんです」

職員が見に行くと、そこにも何もなかった。

病院では近いうち、その壁も塗り直すことになった。

出典:ほんのりと怖い話スレ その13
HONNORI HORROR 02

舞台袖のいたずら

小さな劇場で、本番前の通し稽古が行われていた。

稽古が終わった直後、一人の女優が舞台の上で動かなくなった。顔から血の気が引き、暗い舞台袖を指さしている。

「あそこに、手が……」

袖の奥から、白い手だけが伸びていた。腕も体も見えない。手首から先だけが宙に浮かび、舞台にいる彼女を呼ぶように、ゆっくりと手招きをしていたという。

女優はその場で泣き出した。周囲が声をかけても、舞台袖を指さしたまま取り乱している。

すると、共演していた男優の一人が手を上げた。

「ごめん。俺のいたずらだ」

袖に隠れ、驚かせようとしただけらしい。女優はひどく怒ったものの、幽霊ではなかったと分かると、ようやく落ち着いた。張りつめていた空気も緩み、劇場には笑い声が戻った。

稽古場から人が引き始めた頃、その男優が演出担当者を人目のない場所へ呼んだ。

「さっきの、俺じゃないです」

女優があまりにも怯えていたから、自分のいたずらだったことにした。それだけだという。

念のため、白い手が見えた時間の舞台進行を調べた。

その時刻、舞台袖には誰もいなかった。

出典:ほんのりと怖い話スレ その13
HONNORI HORROR 03

駐車場の自転車

友人と二人で山へドライブに出かけ、道に迷った。

地図を開いても、今どこにいるのか分からない。頼みのカーナビは壊れ、画面の中では車が海の上を走っている。日が落ちるにつれ、道は細くなっていった。民家もなければ街灯もない。

そのまま走り続けていると、山の上の方にぽつんと明かりが見えた。近づいてみると、コンビニだった。

駐車場には車が一台と、何台かの自転車。ガラスの向こうには数人の客がいて、店員も普通にレジに立っている。

二人は、ようやく人のいる場所へ出られたと胸を撫で下ろした。店員に町までの道を教えてもらい、何度も礼を言って店を出た。

教えられた通りに進むと、細かった道が少しずつ広くなり、やがて遠くに町の明かりが浮かんだ。

もう大丈夫だと思ったところで、駐車場に並んでいた自転車が頭に浮かんだ。車で来た客なら分かる。だが、街灯も民家もない山道を、あの自転車はどこから上ってきたのだろう。

帰宅した二人は、地図を広げて山の周辺を調べた。

あの場所に、コンビニはなかった。それどころか、通ったはずの山道沿いには、店らしい建物が一軒もなかった。

出典:ほんのりと怖い話スレ その14
HONNORI HORROR 04

正月の廃病院

実家の近くに、古い廃病院があった。

石造りの大きな建物が何棟も並び、広い敷地には池や森まである。子どもの頃には探検をし、中学や高校に上がってからは、友人たちと肝試しにも出かけた。地元を離れたあとも、帰省するたびに立ち寄るほど見慣れた場所だった。

その年の正月には、妻を連れて行った。二人で建物の中を歩くと、妻は「古いドラマの舞台みたい」と喜んでいた。

それから八か月ほど経った夏。再び実家へ帰り、いつものように廃病院へ向かうと、そこには何もなかった。

石造りの建物も、池も、周囲を覆っていた木々もない。敷地にはフェンスが張られ、その向こうに重機が置かれている。正月には確かにあった建物が、跡形もなく消えていた。

夕食の席で、父親に尋ねた。

「あの病院、いつ壊したの?」

父親は何気なく答えた。

「去年の秋には、もう更地だったぞ」

今年の正月、妻と二人で病院の中を歩いている。そう伝えても、父親は前年の夏から解体が始まり、秋には何もなくなっていたと言う。工事を請け負った業者の名前まで知っていた。

母親に尋ねても、答えは同じだった。実家の近くに、あれほど大きな廃墟はほかにない。別の建物と取り違えるはずもなかった。

事情を伏せたまま、妻にも聞いてみた。

「正月に、どこへ行ったか覚えてる?」

妻は迷うことなく答えた。

「廃病院でしょ。二人で中を歩いたじゃない」

出典:ほんのりと怖い話スレ その14
HONNORI HORROR 05

二つの呼び出し音

釜臥山にあるレーダー基地へ配属された。山からは、恐山を見下ろすことができる。

まだ配属されて間もない頃、山中の送信所で作業をしていた。無線機の自己診断プログラムを動かしている間は、特にすることがない。手持ち無沙汰のまま、廊下や階段を映す監視モニターを眺めていた。

画面の端から、男の顔が入ってきた。

見覚えのない中年の男だった。顔だけが、カメラを覗き込むようにゆっくりと現れ、そのまま画面の外へ消えていった。

すぐに先輩へ報告した。

「今、監視カメラに変な男が映りました」

先輩はモニターを確かめようともせず、ひと言だけ返した。

「ああ、出るよ」

しばらく働くうちに、基地にはほかにも妙なことがあると知った。ときどき、誰もいない場所からインターホンが鳴る。

長く勤めている職員たちは、誰かが押した音と、無人の場所から鳴る音を聞き分けていた。二つは、ほんの少しだけ音が違うらしい。

冬になると、山は深い雪に閉ざされる。人が歩けるはずのない食堂の外を、人影が横切ることもあった。

それでも誰も騒がない。

振り向く者さえいなかった。

出典:ほんのりと怖い話スレ その15
HONNORI HORROR 06

真上の足音

高校の卒業式から数日後、同級生の実家である寺に二十人ほどが集まった。卒業すれば、それぞれ別の道へ進む。その前に皆で宴会をしようという話になり、寺の広い座敷を貸してもらった。

酒も入り、宴会はかなり盛り上がった。そのうち、オカルト好きの七、八人が別の部屋へ移り、怪談を始めることになった。明かりを消し、部屋の中央にロウソクを一本だけ立てる。

初めのうちは隣の座敷から笑い声が聞こえ、怖い雰囲気にはならなかった。ところが話が進むにつれ、一人、また一人と口数が減っていく。

頭の上から、ゆっくりとした足音が聞こえた。

寺には家族も住んでいる。誰かが二階を歩いているのだろうと、皆さほど気には留めなかった。だが足音は次第に近づき、やがて部屋の真上を行ったり来たりし始めた。

そこで、寺の息子が口を開いた。

「次は俺が怖い話をする」

彼は皆に、中央のロウソクを見るよう促した。細長く揺れていたはずの炎が、いつの間にか丸く膨らんでいる。

「炎が丸くなるのは、近くにいる証拠なんだ」

皆は笑った。そんなものは信じられない。真上の足音だって、誰かが二階を歩いているだけだろう。

寺の息子は少し黙り、天井を見上げた。

「この部屋の上に、二階はないよ」

誰も返事をしなかった。ロウソクの炎は、丸い玉のように膨らんでいる。

間を置かず、天井の上から、何か重いものが落ちたような音がした。

出典:ほんのりと怖い話スレ その15
HONNORI HORROR 07

二人分の声

平日の昼下がり、一人の女性が市ヶ谷駅から九段下方面へ歩いていた。

しばらくすると、すぐ後ろから中年男性二人の会話が聞こえてきた。声が大きい。しかも、ずいぶん距離が近い。

女性は歩く速度を上げた。けれど、二人の声は離れない。

さらに速く歩く。やがて、ほとんど走るような速さになった。それでも会話は、首のすぐ後ろから聞こえ続けていた。

振り向くことはできなかった。

そのまま進んでいると、前方に大きなショーウインドーが見えた。速度を落とさず、ガラスに映る背後を見る。

そこにいたのは、一人だった。

中年の男が、声色を変えながら一人で話している。わずかに立ち位置をずらし、二人の男が会話しているように聞かせていた。

駅前から数百メートル。

男はずっと、一人で二人分の会話を続けながら、女性のすぐ後ろを歩いていた。

出典:ほんのりと怖い話スレ その16
HONNORI HORROR 08

午前一時三十分

夜十一時頃にベッドへ入った。

深夜、枕元のラジカセから突然、大音量のラジオが流れ始めた。驚いて飛び起き、慌ててスイッチを切る。時計は午前一時三十分を指していた。

誤ってタイマーを設定してしまったらしい。そう考え、もう一度眠った。

翌朝、友人のMと学校へ向かっていると、Mが昨夜の話を始めた。

夜中、机に向かって勉強していたMがふと顔を上げると、部屋の隅に彼が立っていたという。

初めはぼんやりと霞んでいた姿が、少しずつ輪郭を持ちはじめる。やがてゆっくりと浮かび上がり、ベッドをすり抜け、そのまま天井の中へ消えていった。

本人は、その時間、自分の部屋で眠っていた。

気になって、Mに時刻を尋ねた。

「一時半くらいだったかな」

ラジカセが鳴ったのと、同じ時刻だった。

そんなものを見て、なぜ怖くなかったのかと聞くと、Mは不思議そうな顔をした。

「だって、お前、ずっと笑ってたから」

出典:ほんのりと怖い話スレ その16
HONNORI HORROR 09

ジャンプ公園

小学一年生か二年生だった頃、仲の良い友人が三人いた。四人でよく公園の砂場に山や水路を作り、バケツで水を運んでは流して遊んでいた。

ある日、いつもの公園へ行くと、上級生たちが砂場を使っていた。自転車で追い回され、四人は公園から逃げ出した。別の公園にも行ってみたが、そこにも先客がいる。

すると、誰かが言った。

「ジャンプ公園に行こう」

正式な名前ではない。子どもたちの間だけで、そう呼ばれていた公園だった。隣には雑木林があり、遊具も多い。広い公園なのに、昼間でもほとんど人の姿がなく、学校では幽霊が出るという噂もあった。

四人が着いたときも、公園には誰もいなかった。初めは少し怖がっていたものの、遊び始めるとすぐに忘れた。砂場に山を作り、水路を掘り、水を流す。夢中になっているうちに日が傾き、町の放送が聞こえてきた。

道具を片付け、四人で帰り始めたとき、一人が言った。

「誰もいなかったわけじゃないよな」

ほかの三人には、何のことか分からない。

「ブランコで、女の子が遊んでたじゃん」

水汲みをしていたのは、この話をした本人だった。遊んでいる間に何度もブランコの前を通っている。水道がすぐそばにあったからだ。けれど、女の子など一度も見ていない。

嫌な感じを抱えたまま家へ帰り、そこで水汲みに使ったバケツを公園に忘れたことに気づいた。母親に話すと、もう暗いから明日取りに行きなさいと言われた。

夜九時頃、仕事を終えた父親が帰ってきた。

「玄関の前に放っておくな。ちゃんと片付けろ」

父親の手には、バケツがあった。名前も住所も書かれていない。それでも、泥や砂の付き方を見れば分かる。

夕方までジャンプ公園で使っていた、あのバケツだった。

出典:ほんのりと怖い話スレ その16
HONNORI HORROR 10

一人くらい

家に、立派な人形が飾られていた。

祖父がよく通っていた寿司店に、マー坊と呼ばれる板前がいた。独身だったが子どもが好きで、幼い孫ともよく遊んでくれた。その子が生まれたとき、祝いに贈ってくれたのが、その人形だった。

ところが、ある時期を境に人形は突然なくなった。

大人になってから人形のことを尋ねると、母親はしばらく黙り、捨てたのだと答えた。

マー坊は晩年、重い病気にかかっていた。自分がもう長くないと悟った頃、その子を連れていこうと家まで来たことがあったという。家族は必死に説得し、どうにか帰ってもらった。マー坊は、その後間もなく亡くなった。

それでも、祝いにもらった人形をすぐに捨てることはできなかった。家族はしばらく、そのまま飾っていた。

すると、幼い子の夜泣きが急にひどくなった。落ち着いていたアトピーも悪化し、人形を見るたび激しく泣き出すようになった。

母親は人形を捨てた。それから夜泣きも、皮膚の症状も、少しずつ収まっていった。

母親が今も夢に見るのは、人形ではない。子どもを連れに来た日の、マー坊の顔だった。

家族がどれだけ説得しても、マー坊は同じことを繰り返していた。家には二歳下の妹もいるのだから、と。

「一人くらい、くれてもいいでしょう」

出典:ほんのりと怖い話スレ その119

食い止めて