2014年1月、ある家族のドライブ中に撮影された約6分の車載映像が、ネット上で注目を集めた。

きっかけは、カーオーディオから流れてきた一曲のアニメソングだった。夫は『きまぐれオレンジ☆ロード』の主題歌だと話し、妻は別のアニメの曲だと否定する。調べれば、すぐに決着するはずの話だった。

調べてみると、曲について正しかったのは夫だった。ところが口論は収まらない。妻は車から降ろしてほしいと叫び、娘まで大声で両親を止める。最後に妻が間違いを認めても、夫は追及をやめなかった。

この夫婦喧嘩は、後に「鏡の中のアクトレス事件」と呼ばれるようになった。この映像が奇妙なのは、些細な話が喧嘩に発展したからだけではない。正解が出た後も終わらなかったからだ。


鏡の中のアクトレス事件



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一曲の勘違いが、家族の怒鳴り合いに変わるまで

投稿時の説明によれば、娘は妻の実家で漫画『きまぐれオレンジ☆ロード』を夢中で読んでいた。その後、一家で車に乗っていると、中原めいこの「鏡の中のアクトレス」が流れ始める。夫は娘に、この曲が同作の主題歌だと教えた。

そこへ妻が「違う」と口を挟む。妻の記憶では、女の子が二人登場し、何かと戦う別のアニメの曲だった。夫は妻に「鏡の中のアクトレス」で検索するよう求め、妻はスマートフォンを取り出した。

しばらくして、妻は画面を見ながら「きまぐれオレンジロード、主題歌」と口にする。夫には、妻が検索語を読み上げただけに聞こえた。運転中のため、妻が見ている画面も確認できない。夫が改めて結果を尋ねると、妻は曲名や作詞・作曲者を順番に読み上げた。

夫が知りたいのは、「結局、何のアニメの主題歌だったのか」という一点だった。答えが返ってこないと感じた夫の口調は強くなり、妻は「なんでそんな言い方をするの」と反発する。夫は話をそらされたと感じ、再び結論を求めた。

やがて妻は「もう降ろして」「もう帰る」と叫び、後部座席の娘も「そんなんどうでもいい」「いい加減にして」と声を上げる。妻は最初に『きまぐれオレンジ☆ロード』で合っていたと伝えたと主張し、夫は「一言も言っていない」と否定。娘も「言ったよ」と母親に同意した。

最後に妻は「ごめんね、間違ってた」と認める。それでも夫は、妻が最初に答えを言ったかどうかを問い続ける。曲の正解は確認できたのに、夫婦の争いは解決しないまま映像は終わった。

「きまぐれオレンジロード、主題歌」は答えだったのか

曲の情報だけを見れば、夫の記憶が正しい。「鏡の中のアクトレス」は『きまぐれオレンジ☆ロード』の主題歌である。一方、妻が説明した「女の子が二人で戦うアニメ」は『ダーティペア』を思わせる。同作のオープニング曲「ロ・ロ・ロ・ロシアン・ルーレット」も中原めいこが歌っており、二つの記憶が混ざった可能性がある。

昭和アニメの主題歌当てとしては、よくある記憶違いだ。ここで「あ、そうだった」で終わっていれば、後に「事件」と呼ばれることもなかった。

だが、口論をこじらせたのは妻の勘違いそのものではなく、「きまぐれオレンジロード、主題歌」という短い発言だった。

妻は「調べたら『きまぐれオレンジ☆ロード』の主題歌だった」と伝えたつもりだったのかもしれない。夫には検索語を読み上げただけに聞こえた。妻は答えたと思い、夫はまだ答えを聞いていないと思った。

その後に始まる「言った・言っていない」も、必ずしも誰かの嘘とは限らない。夫は結論がはっきり言葉にされたかを問題にし、妻は自分が伝えようとした意味を基準にしている。娘は会話全体から、「母親は父親の正しさを認めた」と受け取った可能性がある。

少なくともこの時点で必要だったのは、「そう、それだった」と確かめる一言だった。だが、その一言がないまま、会話は曲名当てから態度をめぐる争いへ移っていく。

夫は「正解」を、妻は「扱われ方」を争っていた

夫が解決しようとしていたのは、何のアニメの主題歌だったのかという事実の問題だった。妻が訴え始めたのは、なぜ責めるような言い方をするのかという関係の問題である。

夫から見れば、妻は質問に答えず、言い方の話へ逃げている。妻から見れば、夫はすでに答えを知りながら、自分に間違いを認めさせようとしている。夫が回答を迫るほど妻は会話を打ち切ろうとし、その態度を見た夫は、さらにごまかされたと感じた。

夫婦関係の研究では、一方が回答や話し合いを迫り、もう一方が回避することで双方の反応が激しくなる「要求と撤退」の循環が知られている。この家族の場合、簡単に距離を取れない走行中の車内だったことも、悪循環を止めにくくした。

終盤、妻は間違いを認めて謝った。それでも夫が止まらなかったのは、求めていたものが曲の正解だけではなくなっていたからだろう。自分は最初から正しかった。先に否定したのは妻で、検索結果も明確に言わず、娘まで妻をかばった。それなのに自分だけが悪者にされた。夫は曲名だけでなく、「自分は最初から正しかった」という経緯まで家族に認めさせようとしていた。

妻の謝罪は、争いを終わらせるための停戦だった。夫が求めていたのは、出来事全体への判決だった。二人は同じ言葉を交わしながら、最後まで別の問題を争っていた。

「いつも」と「ばっかり」が持ち込んだ過去

映像だけでは、夫婦がそれまでどのように暮らしてきたかは分からない。ただし、今回だけの争いではないことをうかがわせる言葉が残っている。

妻は「なんでそういう言い方ばっかりするの」と叫んでいる。一方、削除された元動画の説明として保存されている文章では、投稿者が妻について、いつも理不尽な行動を取り、「言った・言わない」の水掛け論を仕掛けるという趣旨の非難をしていた。

保存された文章が投稿者本人のものなら、妻は「夫はいつも正しさで追い詰める」、夫は「妻はいつも事実をごまかし、自分を悪者にする」と、互いを以前から見ていたことになる。

こうした見方が固まると、目の前の言葉を、その場だけのものとして聞けなくなる。妻の曖昧な返事は、夫には「またごまかした」に見える。夫の確認は、妻には「また追い詰めてきた」に見える。現在の会話に、過去の不満が次々と流れ込んでくる。

車内で爆発したのは、曲の記憶違いそのものより、すでに積もっていた相手への不信だったのだろう。

追及はモラハラだったのか

この動画を夫によるモラハラの場面だと見る意見もある。内閣府は配偶者間の精神的暴力の例として、大声で怒鳴ること、人前で相手をばかにすること、命令するような口調で話すことなどを挙げている。

映像で気になるのは声量だけではない。妻が何度も会話をやめたいと訴え、最後には間違いを認めても、夫は自分が納得できる説明になるまで追及を続けた。しかも走行中の車内で、すぐにその場を離れることはできない。

ただし、約6分の映像だけで、夫が日常的に妻を支配していたと断定することはできない。夫婦とも大声になり、娘は激しい口論に巻き込まれている。夫は妻の曖昧な返答や「言った・言わない」の繰り返しによって、自分の認識を否定されたと感じていたのかもしれない。

この場面にはモラハラを疑わせる要素がある。ただ、一度の激しい口論と、相手を継続的に萎縮させて従わせる関係は同じではない。日常的な支配があったかを判断するには、映像の外にある生活を見る必要がある。

夫は曲について正しかった。だが、その事実は、妻が謝った後まで追及を続けてよい理由にはならない。

ASDの観点で見えるもの、見えないもの

夫の言動には、曖昧な返答を回答として認めにくい、実際に発せられた言葉を重視する、食い違いが解消するまで話を終えにくいという硬さが見える。

妻にも、別の形のこだわりが見える。「きまぐれオレンジロード、主題歌」で意味は伝わったという認識を変えず、夫が求める形で結論を言い直せないまま、関心は「なぜそんな言い方をするのか」に向かっていく。

夫婦のどちらにも、会話の途中で視点を切り替えにくくなっている様子はある。これをASDに見られることのある柔軟性の乏しさと重ねる見方はできる。ただし、日常語でいう「こだわり」と、ASDの診断で確認される限定的・反復的な行動や関心は同じではない。妻の反応は、強く追及された人が防御的になったときにも起こり得る。

そもそも約6分の映像から、夫と妻のどちらかをASDと診断することはできない。診断には幼少期からの発達歴、複数の場面での特徴、生活への影響などが必要になる。

二人の診断は不明なので、「二重共感問題」をこの夫婦にそのまま当てはめることはできない。ただ、この概念が示す「理解の失敗は一方だけの能力不足で起きるのではない」という視点は役に立つ。

夫には「答えを言わない妻」が見え、妻には「もう伝えたのに認めない夫」が見えていた。片方に診断名を貼るより、二人が別々の会話規則で話していたと見るほうが、この6分間には合っている。

娘の「どうでもいい」は、事実より切実だった

娘の「そんなんどうでもいい」は、曲の話を理解していないから出た言葉ではない。走行中の車内で両親が怒鳴り合っている。そこでは、曲の正解など本当にどうでもよかった。

夫は自分の訴えを切り捨てられたと感じたかもしれない。だが娘にとって切実だったのは、どちらの記憶が正しいかではなく、口論が止まることだった。親同士の激しい対立が子どもの安心感を損なうことは、研究でも指摘されている。娘を判定役にした時点で、すでに曲名以上のものが傷ついていた。

娘の「言ったよ」も、母親をかばう嘘と決めつけることはできない。母親の言いたかった意味を受け取っていたか、これ以上の追及を止めようとした可能性がある。

家族内の争いを、ネットの裁判へ

現存する転載記録によると、元動画は2014年1月3日、「ザ・夫婦ゲンカ」という題名でYouTubeへ投稿されたとされる。元動画は削除され、現在見られるものは転載や再投稿だ。

肝心の曲より、車内の口論のほうが長くネットで語り継がれることになった。

保存されている説明文では、投稿者は妻だけでなく娘まで嘘をつく存在として非難し、ドラレコ映像を自分の正しさを証明する記録として示していた。ただし元ページが残っていないため、この説明文が本当に投稿者本人のものかまでは確かめられない。

もし家族に認めてもらえなかった自分の正しさをネットで証明しようとしたのなら、動画の投稿は口論の続きだったことになる。結果として判定は視聴者に委ねられたが、映像は妻の叫びだけでなく、夫の執拗な話し方や娘の苦痛も記録していた。

妻の叫びは、後に感情的に叫ぶ人を揶揄する「ギャオる」という言葉と結びつけられた。反対に夫も、正しさに固執して妻を追い詰める人物として批判された。ドラレコは判決を出さず、視聴者を二つに割った。

夫婦が離婚した、娘が父親に頼んで投稿させたといった話もあるが、裏付ける資料は確認できない。家族のその後は不明である。ただし動画のその後だけは分かっている。家族の口論は転載され続け、十年以上たった現在も、見知らぬ人々から判定されている。

鏡に映ったもの

「鏡の中のアクトレス」は、慣れてしまった二人が相手を想像する力を失い、強がるほど本心から離れていく歌だ。繰り返される「ハッキリ言えばいいのに」という言葉は、この車内のために書かれたようにも聞こえる。

妻は検索結果をはっきり言わず、夫は曲名以上に何に傷ついたのかをはっきり言わない。二人とも相手に「分かってほしい」と求めながら、その核心だけを言葉にできない。

映像を見る側も無関係ではない。曖昧な返事に苦しんだ人は夫へ、正しさで逃げ場を失った人は妻へ、両親の喧嘩を止められなかった人は娘へ感情移入する。

歌の中で鏡に映るのは、一人のアクトレスだ。だが、夫が証拠として差し出したドラレコという鏡に映っていたのは、妻だけではなかった。

参考資料

蹴りたい