鍵は壊されていない。金品も盗まれていない。ただ、冷蔵庫の食べ物だけが少しずつ減っていく。
ここで扱うのは、実際に報じられ、一部は裁判記録にも詳しく残った10件だ。あり得ないことに見えても、最後まで人間だけで説明がつく。
01一人暮らしの部屋で、食べ物だけが減っていく
2008年、福岡県で一人暮らしをしていた57歳の男性が、冷蔵庫の異変に気づいた。買っておいた食べ物がいつの間にかなくなっている。空き巣を疑ったが、室内から金品が盗まれた形跡はなかった。
男性は防犯カメラを設置した。映像に現れたのは、留守のはずの部屋を歩き回る見知らぬ女だった。通報を受けた警察が家の中を捜すと、人ひとりがやっと横になれるほどの狭い空間から58歳の女が見つかった。そこには寝具まで持ち込まれていた。
女は常にいたわけではないものの、警察は1年近くこの家で寝泊まりしていた可能性があるとみていた。男性は、誰かが外から入った痕跡を探していた。だが女は、すでに家の内側で暮らしていた。
02帰ってきた息子は、瞳の色が違った
米テキサス州で13歳のニコラス・バークレーが行方不明になったのは1994年。約3年後、スペインで保護された少年がニコラスを名乗った。家族は知らせを受け、彼をアメリカへ連れ帰った。
だが、少年には説明しにくい違いがあった。ニコラスの瞳は青かったが、戻ってきた人物の瞳は茶色。髪の色も違い、英語には外国訛りがあった。本人は、誘拐犯から薬物を注射されて瞳の色が変わり、長い監禁生活で英語を忘れたと話した。
家族が息子として迎え入れた男は、実際にはフランス人のフレデリック・ブルダン。当時23歳で、各国で少年になりすましていた人物だった。私立探偵が昔の写真と現在の映像を見比べ、耳の形が一致しないことに気づいた。男は約5か月にわたり、ニコラスとして家族と暮らしていた。
ブルダンの正体は判明したが、本物のニコラスがどこへ消えたのかは分かっていない。
毎晩、家中の収納を調べてから眠る人はいない。帰ってきた家族の耳を、昔の写真と見比べる人もいない。そこまで確かめなくてよいという前提で生活は成り立っている。安全とは、確認していない前提の積み重ねだ。
03妻を脅す「元恋人」と、そばで慰める夫
イギリスに住むアマンダ・プレイルのもとへ、学生時代の元恋人を名乗る人物からメールやFacebookのメッセージが届くようになった。相手は彼女の生活を詳しく知り、「見張っている」とほのめかした。
恐怖で外出も難しくなった妻を、夫のポールは優しく慰め続けた。ところが元恋人のアカウントを作り、メッセージを送っていたのは、その夫だった。
長期間のストーカー行為によって、アマンダは自死を考えるほど追い詰められた。ポールは2018年、禁錮3年6か月を言い渡された。彼女が脅迫について相談していた相手と、脅迫していた人物は同じ家にいた。
04投稿写真の瞳に、駅の景色が映っていた
2019年、アイドル活動をしていた女性の自宅マンションに男が侵入し、帰宅した女性を襲って負傷させた。男は女性のSNSに投稿された自撮り写真を拡大し、瞳に映り込んだ駅の屋根、線路の本数、看板を調べていた。
候補を絞ると、駅で待ち伏せして女性を尾行。配信動画の背景から部屋の階を推測し、その階のチャイムを順番に押した。生配信中の女性が音に反応したことで、部屋番号まで突き止めたという。
男は犯行後も、女性の体調不良を知らせる投稿に「ゆっくり休んでね」「また笑顔で会いたい」と書き込み続けた。自分が襲った女性へ、心配するファンとして言葉を送り続けていた。
05一度も住まなかった家に届き続けた手紙
2014年、アメリカ・ニュージャージー州のブローダス夫妻は、ウェストフィールドの高級住宅街にある「657ブールバード」を135万ドル超で購入した。引っ越しの準備を始めると、新居に一通の手紙が届いた。差出人は「ザ・ウォッチャー」と名乗っていた。
手紙には、家を何年も見守ってきたという文面があった。やがて夫妻の3人の子どもの名前が年齢順に書かれ、末の子が家の横の部屋で絵を描いていたことまで記される。「若い血」を連れてきたことへの感謝もつづられていた。
警察や私立探偵が調べても、差出人は特定できなかった。夫妻は一度もその家で暮らさないまま、2019年に95万9000ドルで売却。購入額との差だけでも約40万ドルを失った。2022年の報道時点で、新しい所有者に同様の手紙は届いていないが、ウォッチャーの正体も明らかになっていない。
相手は車の種類も、子どもの名前も、部屋の中で何をしていたかも知っていた。夫妻には、見ているのが隣人なのか、通りすがりの誰かなのかさえ分からなかった。
06ルームメイトは、いつまでたっても出ていかなかった
「静かな部屋と速いインターネット回線があればいい」。ジェイミソン・バックマンは、部屋を貸そうとする相手にそう話した。大学院とロースクールを出た法律家を名乗り、家賃の小切手も最初は問題なく決済された。
ところが入居後、態度が変わる。部屋の汚れや生活上の小さな不満を理由に家賃を止め、賃貸契約の専門用語を並べ、退去を求められると法廷で争った。受け入れた側が自宅を出ていかざるを得なくなった例もあった。
米ニューヨーク・マガジンは、東海岸各地で12人の被害者を確認している。ある女性宅には、当初2か月だけという約束で入り、4年間居座った。別の被害者は、礼儀正しい客だった男が、やがて「ここは俺の家だ」と言うようになったと証言している。
力ずくで押し入る必要はなかった。招き入れてもらい、住人としての立場を得てから、法知識と退去手続きにかかる時間を使えばよかった。
07体調を気遣う同僚が、検査結果まで知りたがった
アメリカ・カリフォルニア州のエンジニアリング会社で働く女性は、2017年から繰り返し胃腸の不調に悩まされていた。食物アレルギーなどの検査を受けても原因は見つからない。やがて職場の水筒から水を飲んだあとに症状が出ていると気づいた。
同僚のデビッド・シューは彼女を心配し、会社の空気やカビが原因ではないかと助言した。さらに、血液検査や尿検査で何か見つかったかと尋ねていた。
女性が小型カメラを設置すると、シューが水筒のふたを開けて液体を注ぎ、元の位置に戻す様子が映った。水からは極めて高濃度のカドミウムが検出され、女性と両親の血液からも高い数値が確認された。シューは毒物混入の罪で有罪となったが、動機は公表されていない。
08店内に残された「二人組」の足跡
2011年、米メリーランド州の衣料品店で、従業員のジェイナ・マレーが殺害された。同僚のブリタニー・ノーウッドは手を縛られた状態で発見され、覆面をした男2人に襲われたと証言した。
店内は荒らされ、血の付いた大きな男性用シューズの足跡も残っていた。しかし、靴は店内で見つかり、足跡は出口まで続いていなかった。現場にあったのはノーウッドのものを含む2種類の足跡だけで、第三者が侵入した証拠は出なかった。
捜査の結果、ノーウッドが同僚を殺害したあと、男性用の靴を履いて足跡をつけ、自分の体を縛ったと判断された。彼女は第一級殺人で有罪となり、仮釈放のない終身刑を言い渡された。犯人は逃げた二人組ではなく、店内に残された「生存者」だった。
09強盗に縛られた娘。父の証言が「被害者」を崩した
2010年、カナダ・オンタリオ州のパン家に武装した3人組が押し入った。両親は地下室で撃たれ、母ビック・ハー・パンが死亡。父ハン・パンは頭部に重傷を負いながら生き残った。娘のジェニファーは靴ひもで2階の手すりに縛られており、当初は強盗事件の被害者とみられた。
父親は回復後、娘の説明と食い違う内容を証言した。捜査が進むと、ジェニファーが元恋人らを介し、父親を殺害する計画に資金を出していたことが判明する。父親が生き残ったことで、娘は「被害者」の位置にとどまれなかった。
ジェニファーは父親に対する殺人未遂で有罪となった。母親の死については、陪審への説明に問題があったとして再審が命じられたが、2026年3月に故殺罪を認め、仮釈放の可能性がある終身刑を受けている。
10行方不明の女性を名乗り、数千通のメッセージを送った女
2012年、米ネブラスカ州のカリ・ファーバーが突然姿を消した。母親には「新しい仕事が見つかった」、職場には「退職する」という連絡が、カリの携帯電話から届いた。周囲には、彼女が自分の意思で生活を捨てたように見えた。
実際にメッセージを送っていたのは、シャナ・ゴリヤーという別の女だった。職場にはカリの名で、後任にゴリヤーを送るという連絡まで入れ、その日のうちにゴリヤー本人が求人へ応募している。さらに複数のアカウントを使ってカリになりすまし、メールやテキスト、SNSへの投稿を数年間続けた。その数は数千件に及ぶ。
ゴリヤーはカリ以外の人物も演じ、自宅への放火までカリの犯行に見せかけた。端末からは遺体の写真や、一般には知られていなかったカリのタトゥーに関する記述も見つかった。遺体は発見されなかったが、デジタル鑑定などの証拠によって第一級殺人と放火で有罪となり、終身刑を言い渡された。
本物のカリが消えたあとも、偽物のカリだけがインターネット上で何年も生き続けた。
「確かめなくても大丈夫」が壊れる
家族、夫、ファン、ルームメイト、同僚、そして被害者。加害者は、どこにでもある役割の中に紛れていた。
人は毎日、家族の身元を確かめ、同僚の差し出した水を検査してから暮らすことはできない。「確かめなくても大丈夫」と思えるから、生活は続いていく。
事件が終わっても、その感覚は簡単には戻らない。一度それを失ったあと、人はどこまで確かめれば、もう一度ふつうに暮らせるのだろう。
主な参考資料

哲学ニュースnwk















