1970年、北海道の常紋トンネルを改修していた作業員が、待避坑のレンガ壁の奥から人骨を発見した。
このトンネルでは以前から、工事で死んだ労働者が壁に埋められた、血まみれの男が線路に立つ、といった噂が語られていた。怪談が先にあり、半世紀以上が過ぎてから物証が出てきたことになる。
もちろん、そんな例ばかりではない。本来の意味を離れて怪談になった看板もあれば、処刑場だった確証のない場所もある。それでも、一度土地に結びついた怖い話は簡単には消えない。
今回は、有名どころをなるべく外し、実在する10か所を選んだ。見るのは幽霊の有無ではなく、事実と噂がどこで分かれ、なぜその場所に話が残ったのかだ。
※立入禁止区域への侵入や、夜間の迷惑行為を勧めるものではありません。

心霊スポット



第一章怪異には『入口』がある

01 東京都八王子市

道了堂跡押し入れの中の「みーつけた」

八王子市鑓水の大塚山公園に、道了堂の跡が残っている。1874年に建てられたお堂はすでになく、現在残るのは礎石と石灯籠だけだ。
この一帯では1963年に堂守の老女が殺害され、1973年には同じ鑓水地区で大学助教授による教え子殺害事件も起きた。後に道了堂跡は、心霊スポットとして知られるようになった。
怪談作家の川奈まり子氏は、小学4年生の頃、ここで奇妙な姉弟と遊んだと語っている。
友人3人と遊んでいたところ、自分と同じくらいの年頃の少女と、幼い男の子が現れた。6人で隠れ鬼を始め、姉弟が出口のないお堂へ逃げ込んだため、すぐ後を追った。だが、中には誰もいなかった。
その後、川奈氏が暗い押し入れに一人で隠れると、隣に誰かが座る気配がした。恐る恐る横を見ると、消えたはずの少女がいた。
少女は暗闇の中で、「みーつけた」と言った。
02 宮崎県宮崎市

久峯隧道クラクションを3回鳴らすな

宮崎市佐土原町の久峯隧道は、1962年に完成した全長79メートルの短いトンネルだ。照明はなく、夜は先を見通せない。地元では「コツコツトンネル」とも呼ばれている。
かつて男女が人目を忍んで会い、男性が到着の合図としてクラクションを3回鳴らしていた。ある夜、事情を知らない若者たちが面白半分で同じ合図を鳴らした。男性が来たと思った女性はトンネルへ入り、若者たちの車に轢かれたという。
この事故を裏付ける記録は見つかっていない。だが、現地に残る話には奇妙なほど細かな手順がある。
白い車で中央付近に止まり、エンジンとライトを切る。そしてクラクションを3回鳴らす。すると暗闇の奥からコツ、コツ、と靴音が近づき、最後には車の窓を叩き始めるという。
03 千葉県市川市

八幡の藪知らず18メートル四方なのに戻れない

本八幡駅から歩いて数分。国道沿いの市街地に、鳥居と柵で囲まれた竹藪が残っている。「八幡の藪知らず」と呼ばれる禁足地だ。
大きさは約18メートル四方。迷って出られなくなるような広さではない。それでも「中へ入ると二度と戻れない」「祟りを受ける」と伝えられてきた。
徳川光圀が藪へ入り、妖怪に囲まれたという伝説もある。最後に現れた何者かから「今回は見逃す」と告げられ、ようやく外へ戻った。光圀は中で見たものを語らず、以後、誰も立ち入らせなかったという。
市川市観光協会は、この土地がかつて行徳の住民による共有地で、八幡の住民が勝手に入れなかったため「八幡知らず」と呼ばれ、それが「藪知らず」へ変わった可能性を紹介している。
由来に現実的な説明はつく。それでも国道沿いの竹藪は現在も柵で閉じられ、入って確かめることはできない。  
隠れる。3回鳴らす。境を越える。怪談では、何気ない行動が日常と怪異の境目になる。

第二章事実が分かっても、怪談は消えない

04 神奈川県

旧善波トンネル「もう死なないで準一」の意味

旧善波トンネル周辺には、かつて「もう死なないで準一」と書かれた看板があった。写真も残っており、看板が実在したことは確かだ。
そこから、準一という少年がトンネルで事故死し、霊となって何度も車の前へ飛び出した、同じ名前の犠牲者が続いたため両親が看板を立てた、という話が広まった。
後年の調査では、17歳の少年が1965年に交通事故で亡くなったことは分かったが、事故現場は旧トンネルから離れた下りカーブだったとされる。同名の犠牲者が続いた記録も見つかっていない。
看板は、亡くなった準一少年の名を通して、「同じような事故で、もう誰にも死んでほしくない」と訴えるものだったとみられる。
看板の言葉は残った。願いだけが、怪談の中で別の意味へ変わっていた。準一
05 宮崎県宮崎市

夜泣橋泣き声と子育て祈願が残った橋

宮崎市佐土原町の夜泣橋には、双子を育てられなくなった母親が、一人の赤ん坊を橋に置き去りにしたという伝承がある。
赤ん坊は一晩中泣き続けた。翌朝、村人が向かうと姿はなく、誰かが連れ帰ったのか、亡くなったのかは分からなかった。それ以来、夜になると橋から赤ん坊の泣き声が聞こえるようになったという。
一方、この橋には別の話も残っている。木橋だった頃、欄干の木片を燃やして子供の周りを照らすと、夜泣きが治まったというものだ。
同じ橋に、捨てられた子供の泣き声と、子供を無事に育てたいという願いが残った。現在も橋のたもとには、子育て地蔵が祀られている。
06 大阪府能勢町

妙見山のしおき場双方から10人を差し出した

大阪府と兵庫県の境に近い妙見山の旧道沿いに、「しおき場」と呼ばれる一角がある。罪人が処刑され、今も霊が出る場所として紹介されてきた。
由来として語られるのが「交換処刑」だ。能勢家と塩川家の農民が争い、騒動を収めるため、双方から10人ずつを相手方へ差し出して処刑したという。地域史や古文書を引いた調査記事には、10人ずつを交換して処刑したとの記述が紹介されている。
ところが、現在の「しおき場」で処刑が行われたと断定できる史料は見つかっていない。交換処刑の記録はあっても、それを現在の場所と結びつける史料がない。
実際の処刑地だから怪談が生まれたのか。「しおき場」という名前に、別の土地の記録が結びついたのか。調べるほど、確かな部分は狭くなっていく。
怪談は正確な記録ではない。複雑な出来事を、一枚の看板、一つの地名、一つの泣き声へ縮める。だから長く残る一方で、人や場所の関係を変えてしまう。

第三章幽霊より先に、死者の記録がある

07 岩手県一関市

大籠キリシタン殉教史跡山里に残る泣き声

岩手県一関市藤沢町の大籠には、江戸時代初期のキリシタン弾圧に関係する史跡が点在している。大籠キリシタン殉教公園の資料では、この地で殉教したキリシタンは300人を超える。
処刑地として伝わる場所は一つではない。178人が処刑されたとされる「地蔵の辻」、94人が処刑されたとされる「上野処刑場」、首塚や供養碑などが山里に残る。
処刑後、夜になると男女の泣き声が聞こえ、人影がさまよったという話も伝わった。
夜の泣き声は伝承である。300人を超える殉教は、この土地の歴史として記録されている。
08 富山県魚津市

坪野鉱泉心霊スポットへ向かった二人はどこへ消えたのか

坪野鉱泉は、1982年に廃業した温泉旅館の廃墟として、北陸で知られた心霊スポットだった。
1996年5月5日の夜、当時19歳だった女性二人が「肝試しに行く」と家族へ告げ、車で出発した。友人のポケットベルに魚津市にいると残したのを最後に消息を絶ち、警察が周辺を捜索しても手がかりは見つからなかった。
やがて、廃墟で事件に巻き込まれた、神隠しに遭ったという噂が広がった。
ところが失踪から24年後の2020年、二人の車は坪野鉱泉ではなく、射水市の伏木富山港の海底から見つかった。車内の人骨はDNA鑑定などで二人のものと特定された。
二人が坪野鉱泉へ到着したかは明らかになっていない。少なくとも、二人が坪野鉱泉で命を落としたという噂は事実ではなかった。
目的地だけが残り、途中の行動が見えないまま24年が過ぎた。その空白は、怪談が埋めるには重すぎる。
09 青森県

八甲田山雪の上に足跡を残さない部隊

1902年1月、青森歩兵第五連隊の雪中行軍隊が八甲田山中で遭難し、参加者210人のうち199人が死亡した。
事故後、無人の兵舎で軍靴の音や「今帰ってきた」という声が聞こえるなど、犠牲者にまつわる怪談が語られた。
後年の怪談集には、自衛官が一個中隊ほどの隊列を目撃し、敬礼して見送ったという話も収録されている。部隊が去ったあと、雪の上には足跡が一つもなかった。
足跡のない隊列は、後年に採録された体験談である。その隊列が目撃されたという1月23日は、青森隊の遭難が始まった日でもある。
10 北海道

常紋トンネル噂の後に壁から人骨が出た

北海道の石北本線にある常紋トンネルは、1912年に着工し、1914年に開通した。建設には「タコ」と呼ばれた労働者たちが動員され、過酷な労働を強いられたとされる。
開通後、機関士が線路上に血まみれの男を見た、無人のトンネルからうめき声が聞こえた、亡くなった労働者が壁に埋められている、といった噂が広がった。
1968年の十勝沖地震で壁が損傷し、1970年から改修工事が始まる。そこで、待避坑のレンガ壁の奥から人骨が発見された。その後、周辺からも複数の遺骨が見つかり、1980年には工事殉難者追悼碑が建てられた。
人骨の発見は幽霊の存在を証明しない。しかし、労働者がトンネルに埋められたという噂が、まったく無関係な空想だったとも言い切れなくなった。
壁の向こうに誰かがいた。その一点だけは、噂ではなかった。

終章怪談は死者を残すのか、隠すのか

心霊スポットの噂は、事実の記録としては信用できない。旧善波トンネルでは交通安全の願いが恐怖の言葉に変わり、坪野鉱泉では24年間の空白を別の物語が埋めた。
一方、常紋トンネルでは、噂の奥から現実の歴史が姿を現した。怪談は事実を歪める。それでも、記録からこぼれた死者の存在を土地に留めることがある。
怖い話を語り継ぐことは、忘れられた死者を残すことなのか。それとも、死者を怖がるための材料へ変えることなのだろうか。

あわせて読みたい

参考資料
1.道了堂跡:八王子市「はちおうじ物語其の七」、婦人公論.jp「川奈まり子氏インタビュー
2.久峯隧道:Harada Office Weblog
3.八幡の藪知らず:市川市観光協会
4.旧善波トンネル:Theつぶろ
5.夜泣橋:古跡 宮崎Harada Office Weblog
6.妙見山のしおき場:現地・史料調査記事
7.大籠キリシタン殉教史跡:大籠キリシタン殉教公園公式サイト日本伝承大鑑
8.坪野鉱泉:毎日新聞文春オンライン
9.八甲田山:青森市BuzzFeed Japan
10.常紋トンネル:ぶらっと北海道CiNii 図書『常紋トンネル 北辺に斃れたタコ労働者の碑』

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